社会人向け教養サービス 『テンミニッツ・アカデミー』 が、巷の様々な豆知識や真実を無料でお届けしているコラムコーナーです。
DATE/ 2018.05.10

脱サラして成功した「農業×ITベンチャー企業」

 最近、スーパーで通常の陳列とは別に囲った野菜売り場を見かけることが多くなりました。よく見ると、そこには「農家の直売所」の文字が。これこそが、及川智正氏が代表をつとめる株式会社農業総合研究所(以下、農業総合研究所)の販売コーナーなのです。

農業界のプラットフォーム業のきっかけは…

 農業総合研究所は全国の生産農家から野菜や果物を集める集荷場を72拠点持っており、この拠点を活用してスーパーマーケットを中心にコーナーを構えて、新鮮な野菜、果物を供給するビジネスを行っています。登録農家は約7200名、直売所を設けているスーパーは約1100店舗にのぼり、農業総合研究所は集荷した生産物を流通させるいわゆる「プラットフォーム業」をメインに行っています。

 及川氏いわく「農業×ITベンチャー企業」として、ITを駆使し、新しい農産物流通プラットフォームを創造し続けているこの会社。平成28年6月には、農業ベンチャー初の上場企業として東証マザーズに上場し、業界で話題となりました。新規業態として躍進中の農業総合研究所のスタートのきっかけは、実は及川氏の「農家さんに消費者からの“ありがとう”を届けたかった」という思いにありました。

農業の危機をなんとかしたくてキュウリ農家に

 東京農業大学の農業経済学科で学んだ及川氏の卒論テーマは、日本の農業の将来予測だったそうです。その研究の結果は、50年後も100年後も今と同じ傾向が続く。つまり、農業人口はどんどん減り、生産農家の平均年齢は上がる一方、従って食料自給率は右肩下がりという希望がひとかけらも見い出せないという現実を、及川氏は目の当たりにしたのです。

 大学卒業時はバブル崩壊の最中で、やりたいことをすぐにできる環境ではなかったため、半導体を扱う会社で営業職についたものの、及川氏は常に「日本の農業をなんとかしたい」という思いを抱き続けていました。そこで、とうとう結婚という人生の節目に、和歌山でキュウリ農家を始めたのです。

 なぜ、キュウリ農家なのか。農業の衰退を食い止めるにはその「仕組み」を変えなければいけない。そのためにはまず自分で生産者として農業を体験してみる必要がある、と考えたからです。

生産者と販売者を経験してわかったこと

 その結果、見えてきたことが2つありました。1つは、「農業はつまらない仕事だ」ということ。なぜならば、農家は誰からも「ありがとう」と言ってもらえないからだ、と及川氏は痛切に感じたと言います。農協に品物を出荷したらそれで終わり。自分が精魂こめて育てた野菜や果物が、そこからどんな店に出荷されて、どんな人に買われて、どのように食べてもらっているのか。全くと言っていいほど分からないというのが、農業という仕事の現実でした。これではモチベーションの上げようがありません。

 もう1つは、一農家では、日本の農業の仕組みを変えるといった大事業は不可能ということ。そこで、今度は生産ではなく「販売」の側面から農業改革にチャレンジしよう、と自身で農家から直接仕入れる「産直八百屋」を始めました。

 ところが、ここでさらに問題点が浮かび上がります。つまり、生産者としては1円でも高く売りたい。販売者としては1円でも安く仕入れたい。同じ農業に関わることなのに立場が変わると、考え方が正反対になってしまったのです。

決定的な問題点をビジネスヒントに

 しかし、この生産者と販売者の間のジレンマという問題点が、農業総合研究所のビジネスヒントとなりました。全く正反対の立場にある生産と販売の交わる「流通」をうまくコーディネートできれば、農業という産業の可能性が見えてくるかもしれない。このように及川氏は考えて、なけなしの50万円を投じて農業総合研究所を設立したのです。

 及川氏の脱サラ人生は、決して一直線の道のりではありませんでしたが、「ありがとう」を現場の人々に届けたい、「ありがとう」の一言で農業を盛りあげたい。この思いが、なによりの支えであったのは間違いありません。農業に限らず、脱サラ成功の鍵はこうした「誰かのためになりたい」にあるのかもしれません。
~最後までコラムを読んでくれた方へ~
雑学から一段上の「大人の教養」はいかがですか?
明日すぐには使えないかもしれないけど、10年後も役に立つ“大人の教養”を 5,600本以上。 『テンミニッツ・アカデミー』 で人気の教養講義をご紹介します。
1

「白人vsユダヤ人」という未解決問題とトランプ政権の行方

「白人vsユダヤ人」という未解決問題とトランプ政権の行方

戦争と暗殺~米国内戦の予兆と構造転換(3)未解決のユダヤ問題

保守的な軍国化によって、内戦への機運が高まっているアメリカだが、MAGAと極左という対立図式は表面的なものにすぎない。その根本に横たわっているのは白人とユダヤ人という人種の対立であり、それはカーク暗殺事件によって露...
収録日:2025/09/24
追加日:2025/11/06
東秀敏
米国大統領制兼議会制研究所(CSPC)上級フェロー
2

ソニー流「人材の活かし方」「多角化経営の秘密」を学ぶ

ソニー流「人材の活かし方」「多角化経営の秘密」を学ぶ

編集部ラジオ2025(26)ソニー流!多角化経営と人材論

「人的資本経営」という言葉が、よく聞かれるようになりました。端的にいえば、「人材=コスト」ではなく「人材=資本」として捉え、人を大切にしていこうという考え方です。

「人を大切にする」というのは別に新しい...
収録日:2025/09/29
追加日:2025/11/06
3

なぜ「何回説明しても伝わらない」のか?鍵は認知の仕組み

なぜ「何回説明しても伝わらない」のか?鍵は認知の仕組み

何回説明しても伝わらない問題と認知科学(1)「スキーマ」問題と認知の仕組み

なぜ「何回説明しても伝わらない」という現象は起こるのか。対人コミュニケーションにおいて誰もが経験する理解や認識の行き違いだが、私たちは同じ言語を使っているのになぜすれ違うのか。この謎について、ベストセラー『「何...
収録日:2025/05/12
追加日:2025/11/02
今井むつみ
一般社団法人今井むつみ教育研究所代表理事 慶應義塾大学名誉教授
4

宇宙の理法――松下幸之助からの命題が50年後に解けた理由

宇宙の理法――松下幸之助からの命題が50年後に解けた理由

徳と仏教の人生論(1)経営者の条件と50年間悩み続けた命題

半世紀ほど前、松下幸之助に経営者の条件について尋ねた田口氏は、「運と徳」、そして「人間の把握」と「宇宙の理法」という命題を受けた。その後50年間、その本質を東洋思想の観点から探究し続けてきた。その中で後藤新平の思...
収録日:2025/05/21
追加日:2025/10/24
5

なぜ二本立ての評価制度が必要か…多種多様な人材の評価法

なぜ二本立ての評価制度が必要か…多種多様な人材の評価法

エンタテインメントビジネスと人的資本経営(6)評価制度設計と「夢」の重要性

人的資本経営で非常に大事なのが人事評価制度である。しかし、正解はなく、会社や環境に応じて、形を変える必要がある。ポイントは、短期評価と長期的人材育成を踏まえた二本立ての評価制度設計をすること。たとえばクリエイテ...
収録日:2025/05/08
追加日:2025/11/04
水野道訓
元ソニー・ミュージックエンタテインメント代表取締役CEO