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DATE/ 2020.07.22

1970年代はどういう時代だったのか?

 1970年代の日本とは、いったいどういう時代だったのでしょうか。今回は、記録や記憶に残る出来事や流行となった人物やフレーズなどを手がかりに、1970年代を振り返ってみたいと思います。

1970年代前半を振り返る

 「人類の進歩と調和」をテーマに77カ国と4国際機関が参加し、183日間中に総入場者数6422万人が訪れた「日本万国博覧会 EXPO'70」、通称“大阪万博”が開催された1970年。全日本アマチュア・フォーク・シンガーズが歌う「戦争を知らない子供たち」がヒットし、安保条約の自動延長決定。よど号ハイジャック事件が発生し、市ヶ谷の自衛隊での作家・三島由紀夫の割腹自決とともに列島に衝撃を与えました。他方、マイカーの普及率が上昇する一方で、水俣病に真っ向から向き合った石牟礼道子の『苦海浄土』が衝撃を与え、杉並区で発生した光化学スモッグにより40数人の高校生が倒れる事件が発生するなど、経済成長と効率優先の陰で深刻化した公害問題が様々な負のかたちで顕在化した、今に続く環境問題の節目ともいえる年ともなりました。

 「団塊ジュニア」世代が誕生した、戦後2回目のベビーブームの始まりとなった1971年。深刻化・顕在化する公害問題を受けて環境庁が発足し、昭和天皇と香淳皇后が広島市の原爆慰霊碑に初参拝し原爆養護ホームを慰問するなど、戦後復興の暗部にも光があてられ始めます。多摩ニュータウンへの第1次入居が開始され、大学卒男子の平均初任給が4万8000円となり、カップヌードルが新発売され、マクドナルドの日本1号店が銀座にオープンし、ボウリングブームが起こり、Tシャツ、ジーパン、ホット・パンツが流行しました。テレビでは、「仮面ライダー」「天才バカボン」「ルパン三世」などの人気シリーズや、今も続く「新婚さんいらっしゃい!」などの長寿番組がスタートし、NHK総合テレビで全放送がカラー化しテレビ番組が急増した一方で、日本の映画産業を支えた大映が倒産しました。

 沖縄返還が果たされた1972年。グアム島のジャングルから救出された横井庄一元軍曹の帰国第一声「恥ずかしながら帰って参りました」が流行語となり、連合赤軍があさま山荘事件を起こし、自民党の総裁選挙で「日本列島改造論」を発表した田中角栄がその後首相に就任しました。日中国交正常化が実現され、記念として中国政府より寄贈されたパンダのカンカンとランランによってパンダブームが巻き起こりました。一方、札幌オリンピックでは70m級ジャンプでメダル独占の快挙を成し遂げ、“日の丸飛行隊”と賞賛されました。また、奈良県明日香村の高松塚古墳で極彩色の壁画が発見され、その後に続く古代史・考古学・シルクロードなどのブームのさきがけともなりました。

 第一次オイルショックによるガソリンや紙製品不足により、スーパーマーケットへの買いだめ客殺到などパニックが起こった1973年。卸売・消費者物価がともに急上昇し、高度成長政策の破綻が明確となり省エネが叫ばれる一方で、70歳以上の老人医療無料化が実施されるようになりました。また、渋谷駅のコインロッカーで嬰児の遺体が発見され、以後各駅で続発し社会問題化したのもこの年です。オセロゲームの流行、ゴルフブームの到来、ドリフターズの加藤茶氏が連発する「ちょっとだけよ」が流行語となり、深作欣二監督の映画「仁義なき戦い」がヒットし、小松左京のSF小説『日本沈没』や山崎豊子の社会派小説『華麗なる一族』、五島勉氏の『ノストラダムスの大予言』がベストセラーとなりました。そして、江崎玲於奈氏がノーベル物理学賞を受賞しました。

 総理府統計局により「日本の人口1億1000万人突破」の推計が発表された1974年。1971年から続く戦後2回目のベビーブームの最後の年となり、大学卒男子の平均初任給が8万3000円まで上昇しました。しかし、経済実質成長率が戦後初のマイナス成長を記録し、消費者物価上昇とあいまってスタグフレーションが問題化する一方で、地価上昇率は高くなっていきました。丸の内の三菱重エビルでの過激派による無差別爆破テロが発生し、前首相佐藤栄作のノーベル平和賞を受賞し、アメリカ大統領としてフォードが初来日し、ノンフィクション作家の立花隆氏の「田中角栄研究」の発表により田中金権への批判が広まり田中内閣総辞職へとつながっていきます。巨人のV10を阻止した中日のセ・リーグ優勝とともに、長嶋茂雄氏が現役を引退。超能力ブームや宝塚ブームが巻き起こり、「セブン-イレブン」日本1号店がオープンし、人気キャラクターの「ハローキティ」が誕生しました。

1970年代後半を振り返る

 歌手の子門真人氏が歌う「およげ!たいやきくん」が誕生し、大ヒットした1975年。自動車生産台数は694万台、粗鋼生産高1億231万トンとソ連アメリカに次いで世界第3位となり、30人以上の事業所の給与平均月額は13万円となります。しかし、1973年の第一次オイルショックの影響から、企業倒産が相次いだ年ともなりました。沖縄国際海洋博覧会に際し戦没者慰霊にひめゆりの塔で献花した皇太子同妃殿下(現・上皇上皇后両陛下)に火炎びんを投げ付けられるテロが発生。エリザベス女王夫妻が初来日された一方、昭和天皇と香淳皇后がアメリカ合衆国を初めて公式訪問されました。世界的な大きな動きとして、ベトナム戦争が終結した年でもあります。

 政界と財界に始まり列島をゆるがしたロッキード事件によって、田中角栄元首相が逮捕された1976年。戦後生まれが総人口の半数を超え、鹿児島市で日本初の五つ子が誕生。モントリオールオリンピックで活躍した日本選手団が、体操・レスリング・柔道・女子バレーボールで計9個の金メダルを獲得しました。アイドルグループ・キャンディーズの歌う「春一番」がヒットし、ロッキード事件に関し衆議院予算委員会に証人喚問された小佐野賢治国際興業社主の「記憶にございません」が流行語となり、芥川賞を受賞した村上龍氏『限りなく透明に近いブルー』がベストセラーとなり、『週刊少年ジャンプ』で漫画家・秋本治氏の「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の連載が開始され、1等1000万円のジャンボ宝くじが発売されました。

 日米漁業協定(200カイリ漁業水域の初の協定)が調印された1977年。野党の連合政権構想が活発化した同年は、企業倒産件数が1万8471件、負債総額は2兆9780億円となりました。また、日航機の日本赤軍によるハイジャックが列島を震撼させました。他方、プロ野球では読売巨人軍の王貞治選手がホームラン通算756本の世界最高記録を樹立し、国民栄誉賞第1号受賞。映画「ロッキー」が大流行、スックのカラオケが大ブームとなり、石川さゆり氏の「津軽海峡冬景色」や山口百恵氏の「秋桜」などのヒット曲が誕生します。日本初の静止気象衛星「ひまわり」が打上げられ、テレビでは「アメリカ横断ウルトラクイズ」が話題となりました。

 新東京国際空港(現:成田国際空港)が開港された1978年。安保体制の強化が進む一方で、有事立法が取り沙汰されるようになりました。また、マグニチュード7の伊豆大島近海地震、マグニチュード7.5の宮城県沖地震が発生し、各地で観測史上最高気温となる猛暑を記録。タンク卜ップが流行し、ディスコブームが到来し、すかいら-く・ロイヤルホスト・デニーズなどのファミリーレストランが盛況し始め、“竹の子族”を生んだ「ブティック竹の子」が原宿に開店しました。人気音楽番組「ザ・ベストテン」の放送が開始され、キャンディーズの5万5000人を集めた解散コンサートでの「普通の女の子に戻りたい」が流行語となり、冒険家の植村直己が犬ぞり単独行で北極点到達の偉業を果たしました。

 イラン革命に伴う石油価格の急騰による第二次オイルショックが起こった1979年。アメリカの景気が頭打ちの影響も受け経済摩擦について協議が行われた一方、中国への政府開発援助(ODA)が始まりました。テレビでは「3年B組金八先生」「西部警察」「ドラえもん」「機動戦士ガンダム」などがヒットし、映画では「戦国自衛隊」「地獄の黙示録」「銀河鉄道999」「宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち」「ルパン三世 カリオストロの城」などがヒットしました。また、「口裂け女」都市伝説が全国に広まり、インベーダーゲームが大ブームとなったのもこの年です。

 いかがでしたでしょうか。夢中になった出来事、すでになつかしいフレーズ、今では大切になっている思い出などありましたでしょうか。こうして流行のトピックスとともに駆け足で振り返ってみると、1970年代とは、戦後の経済成長がひとつの頂点を極め、次なるステージへと入っていった年代であったように思えます。生産性や合理化優先の陰に追いやられた環境や格差の問題、消費や資源の限界から立ち現れた社会のひがみやゆがみなど、進歩と繁栄を多様な視点と方法で捉え直さざるをえないほどの今に続く問題点が噴出し、顕在化された時代であったように見えてきます。

<参考文献・参考サイト>
・『誰でも読める 日本史年表』(吉川弘文館編集部編、吉川弘文館)
・日本人のための昭和史・平成史 | はやぶさ宝石箱
https://kagebome.com/shouwashi/
・1970年代の日本
https://ja.wikipedia.org/wiki/1970%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC

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