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「人の資本主義」が到来してもモノやコトは不要にならない

人の資本主義~モノ、コトの次は何か?(7)質疑応答1~「人間とは何か」

中島隆博
東京大学東洋文化研究所長・教授
情報・テキスト
「人の資本主義」という状況においても、モノやコトといったこれまでの資本が消失されるわけではないと、中島隆博氏は説く。この状況下ではさらに、現代の宗教的・精神的要素であるスピリチュアリティが、重要な要素となっていく。講演後に行われた質疑応答編1。(2018年5月15日開催日本ビジネス協会JBCインタラクティブセミナー講演「人の資本主義」より、全8話中第7話)
時間:11:11
収録日:2018/05/15
追加日:2019/03/27
≪全文≫

●物やコトの資本主義が消えて無くなるわけではない


質問 普段の生活における利便性を考えると、モノの世界からはとても離れられない気がします。

中島 モノやコトがなくなるとは、私は全然思っていません。ある程度物質的な条件が整備されないと、その先はなかなか考えられないと思うからです。よく「衣食足りて礼節を知る」と言いますが、やはり衣食が足りていないところで礼節を知りなさいと言ってもなかなか難しいと思うのです。もちろん、今の日本という豊かな社会でも、貧困や格差があります。ですから、決してモノやコトが不要だと言っているわけではないのです。

 ただ問題は、そのモノやコトという設定でこれから先、そのままやっていけるのかどうかということです。資本主義とは基本的に次の投資先を見つけていく運動です。そのため、日本の場合、これからも同じようにモノやコトへ投資をし続けていけば本当の豊かさが到来するのかは疑問です。

 モノやコトへの投資も当然維持されるでしょう。しかし、もう一つ重要なのは人への投資です。人が変わっていくことへの投資を考えないと、日本は取り残されると思います。

 一時期、文科省が日本の大学、特に国立大学からは人文学や社会学はいらないといったようなことを言っていました。それを聞いて本当にびっくりしました。世界の大学が今一番投資しているのは、まさに人文学なのです。また世界のトレンドから取り残されてしまうのかと心配に思っていたのですが、真っ先にそれを批判したのが経団連だったことに、それもまた、びっくりしました。


●「人間とは何か」という問いが、資本主義にも関わっている


中島 恐らく今世界が向かっているのは、「人間とは何か」というこの古い問いをもう一度捉え返していくということだと思います。私は中国の思想や哲学が専門なのですが、今の中国の言説状況を見ると、ピュエットの例は一つの典型例で、こうしたHuman Becomingをどうするのかという問いが多くシェアされています。ですから私は、ピュエットの例をことさら強調しているのではなく、今の中国の言説の中で大変主流になっている考え方を紹介したにすぎないのです。日本の場合は中国のことを実はほとんど知りません。今の現実の中国の資本主義の背景にも、実はこの問題がペッタリ張り付いているのです。

 ですから、単なる無際限の欲望や、グリーディ(貪欲)な資本主義という問題だけでは済まされないところに来ていると思っています。日本の場合、それをどう日本の文脈で引き受けるかという難題がありますが、せめてわれわれの思考の枠組みだけでも揺るがせて、考えるスペースを空けておくというのが良いのだ、という程度には考えています。


●テクノロジーの進歩は、人間の本質として感情があることを示した


質問 AIの発達によって、ロボットは次第に人間に近づき、違いが分からなくなってきそうです。そうなるとやはり、人間とは一体何かということが問題になってくるのではないですか。

中島 シリーズ冒頭に紹介した伊藤計劃氏の本は、まさにその問題を扱っています。少し広い文脈でいうと、ポストヒューマンという議論が20年ほど前から出てきました。永遠に生きる人間の問題を取り上げたのです。ところがそのポストヒューマンの議論を追いかけても、結局われわれにとっての出口はありません。だからもう一度、人として生きるということに立ち戻った場合、何が出てくるのかを考えているのです。今日私が、あえて身体や感情、感覚の問題を取り上げたのはそのためです。

 しかし今、AIやロボットの最先端の研究は、人間の感情に踏み込み始めました。だからひょっとすると、これによって人間の感情などが解明されたら、今日私がお話ししたことも意味がなくなるかもしれません。ですが同時に、人間の感情問題はそう簡単には解けないだろうとも思っています。

 というのも、人間の感情というのは、多分「私が持っている」という形で議論できるものではありません。「持つ」とは違う形で他の人や外部世界と関わって、生じているものです。それは同様に心の問題にも適用されて、われわれは心を「持って」いるわけではないのです。心を生きているのです。その心というのは、この身体に閉じ込められているわけではなく、例えば今皆さんと心をシェアしている可能性もあります。

 こういう在り方がシンギュラリティー以降のテクノロジーによって果たして代替されるかどうか、というのが問題です。私は今のところ、これを代替するまでには至らないのではないかと思っています。そこまで行くためには、もう少しステップが必要なのではないでしょうか。もちろん、今の感情や心に関する議論の進展をよく見たいと思いますが、今の方向性だとまだ届かないのではないか、という気がしてい...
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