●キリスト教によって滅びたとみなされたローマ帝国
── 前回までは、江戸とローマがなぜ長く保ったかというお話でしたが、さしものローマや江戸もだんだん衰退に向かう局面となります。それだけうまい仕組みをつくっていた二つの国というものが、なぜ衰退していってしまうのかというところですが、本村先生はどのようにお考えですか。
本村 ローマ帝国の衰亡については、エドワード・ギボン以来、あるいはそれ以前から常に話題になりました。313年にコンスタンティヌスが出したミラノ勅令を皮切りに、紀元3世紀末から4世紀はキリスト教が公認されていく時期です。その世紀の末に、他の異教の神殿はみんな閉鎖しろというような、事実上の国教化といわれることが起こるわけです。ですから、同時代の人たちがなぜローマはこんなに衰えたのかというと、異教徒たちやキリスト教のせいにするんですよ。キリスト教みたいな宗教が増えるからこうなるんだというわけです。
実際、キリスト教は今でこそ一神教の代表になっていますけれども、ローマ帝国の大きな流れで見ると、やや異質です。ローマ帝国は多くの神々の宗教を公認していました。「君たちがどんな神々を拝んでも構わない。だけど、ローマの神々も認めなさい」という考えを表現したのがパンテオン(万神殿)で、全ての神を崇める場所でした。自分の神を崇めていい、他の神は崇めなくてもいいから否定するな、というのがローマ人の考えだったわけです。
ところが、キリスト教はそれをやってしまう。他の神々を否定しますからね。古代ローマ人の意識に戻れば、神々を否定するキリスト教徒は無神論者に見えるんです。当時の人には考えられないようなことをキリスト教がやるため、相当な軋轢があった。弾圧されるのが当たり前じゃないかと、私などが思うぐらいのことです。ただ、それをなぜローマ帝国が受け入れていったのかというのが、一つ、大きな問題としてあると思います。
●地球寒冷化のもと、ローマはゲルマン「移民」問題に直面した
本村 ちょうど同じ時期に、ゲルマン民族の移動が始まったりしています。これは元を正すと何なのかというと、多分気候変動が大きいんじゃないかと思うんですね。おそらく4~5世紀にかけて地球的な規模で寒冷化が起こっていたことが、割に明らかにされてきました。それで、北のほうにいた人たちが南のほうに移動してくるという大きな流れにつながったわけです。
気候変動はけっこう大きな要因で、フランス革命の起こった1780年代には、日本でもずいぶん天候不順な時期がありました。革命前のフランスも同じような時期を過ごしますから、作物が取れないとか飢饉が起こるなどが背景にあったわけです。
4~5世紀には、多分かなりの寒冷化が地球規模で起こっていたらしい。それで、南への移動も起こったし、大陸は西のほうが暖かいので、西や南への移動が起こった。彼らがローマ帝国の中に入り込んできたという問題があります。
それに対して、ローマ人がどのように対処をしたか。これは現在のトランプ政権が抱える問題と重なります。つまり、どれだけ寛容でいられるか、あるいはどれだけ締め出すか。異民族の移動というのは、日本のように島国で住んでいるとあまり切実には感じませんが、ユーラシア大陸規模で見れば、いつでも起こっている問題で、気候変動や戦乱があるたびに、そこから逃げ出してくる人たちがいるのです。
そういうこととキリスト教の問題などが重なっているので、私はローマの衰退を三つのレベルに分けています。一つ目は経済の衰退、二つ目は国家の衰退。三つ目は衰退ではなく、文明の「変質」です。
●経済・国家・文明でローマの衰退と変質を見分ける
本村 経済の衰退については、(第2回で)お話ししたように、アッピア街道から始まる街道や水道の建設がありました。こうしたものは造って終わりではなく、メンテナンスが必要です。何百年もたったインフラの整備を担うだけの力があるのかどうかが、大きな問題として浮上します。
また、彼らはあれだけ広いところを征服したために、地域によって栽培する作物を使い分けていました。しかも気候が変動したり、人口の移動があったりするので、一つの地域で盛んになった作物を別の場所で試すようなことも起こる。さらに、どういう流通システムをつくっていくかも、大きな問題でした。
近代に入ると、コロンブスやバスコ・ダ・ガマのような人たちが出てきて、大西洋やインド洋、果ては太平洋まで開発していった。海の道によって、それまでにはない規模で交易が広がっていくわけです。ところが、ローマ帝国や地中海文明では、それが古代の段階で完成していました。海がなければ陸上移動になるので、なかなかそこまでは広がらなかった。海を使えば、陸を使って移動して荷物を...