テンミニッツTV|有識者による1話10分のオンライン講義
ログイン 会員登録
テンミニッツTVは、有識者の生の声を10分間で伝える新しい教養動画メディアです。
すでにご登録済みの方は
このエントリーをはてなブックマークに追加

「世界哲学」は日本や世界の課題を解決する処方箋となるか

哲学から考える日本の課題~正しさとは何か(10)質疑応答編3:世界哲学

情報・テキスト
新しい時代に求められる哲学は、蓄積されてきた既存の知見を再構成し、新たな枠組みを創出することで生まれる「世界哲学」である。そこでは既存の哲学から離れていった「人間」の問題を再考し、新しい社会状況に適した概念を提示することが要請される。(2019年10月26日開催・テンミニッツTV講演会「西洋哲学と東洋哲学から考える日本の課題」より全11話中第10話)
※司会者:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:05:50
収録日:2019/10/26
追加日:2020/04/13
≪全文≫

●普遍的なものをもう1回問い直すための「世界哲学」


―― 次の質問に参ります。

「20世紀になって西洋哲学では、解釈学、現象学、論理実証主義が現われ、その後は構造主義も登場した。21世紀に入り20年近くになるが、新しい哲学の動きは出ているのか。また、そうした動きは、日本や世界の課題を解決するのに、有効な処方箋たり得るのか」

 こういう質問です。いかがでしょうか。

中島 これは少し手前味噌になりますが、納富さんと一緒に私は「世界哲学だ」と今、言っています。これはひょっとすると、1つのチャンスかもしれません。

 ここでいう「世界哲学」とは、何か「世界」というものを想定し、そこにさまざまな哲学があるから、それらをコレクションして眺めましょうというものではありません。そんなことは、もう前からやられています。あるいは、世界的に普遍的な哲学があり、それを深く探求していけばいいのだという考え方とも違います。

 そうではなく、私たちがここで「世界哲学」として考えているのは、「世界」という概念も「哲学」という概念も、私たちは実はまだよく知らないのではないかということで、その2つが合わさって新しい場所というものが開けるんじゃないか。世界と哲学に対して、もう一回“驚き直そう”と試みているのです。驚き直した上で、何かもう少し人間にとって重要な、個別なものに埋没するのではない、普遍的なものをもう1回問い直すチャンスを、取り戻したいと考えているのです。


●“human becoming”から“human co-becoming”へ


中島 ここまで私たちは、重要なのは「人」であるという議論を問題にしました。例えばミシェル・フーコーなどは、「人間なんていう概念は消えていくんだ」とまで言います。しかし、本当にそうなのかといえば、私はそうではないと思っています。人間という概念はまだ私たちには十分分かっていないし、これから改めて再定義し続けるしかないんじゃないかと考えています。

 当然、現在においてはAIやテクノロジーも進展しています。そうしたなかで、人間のあり方は、繰り返し問われていると思います。そうした問題に関して、ちゃんと答えられる人間、あるいは人のあり方を考え直したほうがいいんじゃないか。そうしたなかで、この講演会では「人が人になる」ということについてお話ししました。

 例えば、私の友人は、「人間とは“human being”ではない」と言っています。beingとは存在のことです。もはや人間はbeingではなく、「“human becoming”なのだ」と言うんです。つまり、私たちは人間に「なる」存在なのだ、ということです。私はさらに調子に乗って、「いや、もう“human co-becoming”だ」などと言ったりもします。「co」は「一緒に」という意味です。つまり、私たちは「一緒に人間になっていく存在だ」ということです。そこまで言ってしまって良いのではないかと考えています。

 そのためには、古代的なところで議論されていたものをもう1回引き受け、それを新しい言葉で開き直していくことが、要請されていると思うんです。これを「世界哲学」という新しい概念として提示できると良いなと思っています。


●日本がイニシアチブを取ろうとしている新しい哲学の動き


納富 その通りなので、特に付け加えることはありません。

 ご質問にあったように、20世紀の哲学では、列挙していただいたようなドイツから始まる解釈学や現象学、またオーストリアから始まりその後、英米圏で展開された実証主義があります。それぞれ非常にすぐれた思考法だけど、これらはヨーロッパのなかのある特定の伝統のなかでできたものです。ですから、時代が変わっていくなかで、こうした区分けのなかに留まり、「僕は現象学者だから、こういうことをしか言いません」とか、「僕は日本の哲学だから……」などと言っている場合ではなくなっていきます。社会が新しい状況を迎えている以上、哲学はそこで開かれなくてはならないのです。

 もちろん、これまでの枠組みを全てなくしてしまおうということではありません。そうではなく、今までのさまざまな蓄積を総動員して一緒に議論した場合、意味があることとして何が残るのかを考えようということです。これを行う段階に来ていると思います。

 その意味では、20世紀後半ごろにあった、華々しい哲学的スターたちの登場という動きは、今はないと感じられるかもしれません。しかし、これに関しては私たちが自分たちでつくらなければならないと考えています。中島さんや私は、昔であれば「最近はビッグがいない」と文句を言っていたかもしれませんが、最近では、いえばいうほど自分の首を絞めていくことになるので、それを自覚しつつ、私たち自身が新しい動きをつくっていかなければならないと感じています。

 21世紀になり、世界的にさまざまな...
テキスト全文を読む
(1カ月無料で登録)
会員登録すると資料をご覧いただくことができます。