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幕末に列強の圧力に対抗した優秀な人材がたくさんいた

国際地域研究へのいざない(6)日本の人材育成能力

島田晴雄
慶應義塾大学名誉教授/テンミニッツTV副座長
概要・テキスト
長州ファイブの五人
ペリー来航は日本国内に大きな衝撃を与えたが、こうした状況に適切に対処できる人材を幕府は持っていた。長州藩や薩摩藩でも、新たな状況に対応できる人材が次々と生まれ、日本の植民地化を目論む英仏の諸勢力を逆に利用して、人材育成や技術開発に励んでいた。世界から長く切り離されていたにもかかわらず、時流に適切に対応できる優秀な人材が次々と出現したことは、日本近代史の歩みに大きな影響を与えている。(全8話中第6話)
時間:08:05
収録日:2020/04/07
追加日:2020/12/19
タグ:
≪全文≫

●ペリー来航時の幕府にもさまざまな優秀な人材が存在した


 そして、猛将ペリーが巨大な蒸気船に乗ってきて、開国を迫りました。幕府としては鎖国中なので、開国はできません。しかし、これを迎え撃つこともできず、戦えば一捻りされてしまいます。そこで、老中の阿部正弘が任命した林大学頭に交渉にあたらせました。彼は単なる町奉行ですが、ただ朱子学の林羅山を始祖とする林家11代の復斎という名前を持つ超優秀な人でした。

 それから、彼と一緒に働いた川路聖謨という人もいました。彼も下級職から出世して、最後は勘定奉行にまで出世しました。彼は睡眠時間2時間で、明け方に槍のすごきを3000本、大きな棒の振り下ろしを1000本、居合の刀の素振り300本に取り組んでいました。それが終わると、漢書を読み、西洋の情報を読んで、勉強に勉強を重ねました。そうして、やがてペリーとの交渉の役を担うわけです。下級職から出世して、勘定奉行にもなったので、幕府に心から忠誠を誓っていました。西郷隆盛の説得によって、江戸城が無血開城するのを見て、もはやこれまでと、自刃して果てました。

 もう一人、岩瀬忠震という人がいます。彼は、もう少し裕福な、東三河の豪族の出身です。徳川家の家来でしたが、勅許なしの条約締結を主張しました。それまで、天皇の勅許がなければ、条約の締結はできないといわれて、難航していました。そんな中、彼は条約締結のために勅許は不要だと主張して、開国しか道はないと断行したのです。

 こうした人々が、他にも何人もいますが、幕府の官僚は非常に優秀なのです。なぜこのような人材がいたのか、というのも、一つ興味深い問題です。


●長州藩や薩摩藩でも優秀な人材が続々現れる


 一方で、ペリーの来航は、宇宙船が来たようなものなので、全国の人が騒然となりましたが、さまざまな優秀な人々がこれを契機に台頭してきました。

 例えば、有能な下級武士で、吉田松陰という人がいました。彼は、とにかくペリーの船を見たくて、小さな魚釣り船を使って、漕ぎ寄せていきました。そして、ペリーの艦隊に乗って、自分をアメリカに連れていくよう懇願しました。英語は当然話せませんでしたが、偶然ペリーの船に漢文の素養を持つ人が乗っていて、筆談でやりとりしたそうです。これには、ペリー艦隊の幹部も呆れてしまい、帰るように諭して岸に戻されました。彼は、やがて幕府...
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