●ポーランドの貴族シュラフタとは
―― 続きまして「ショパンとポーランドの苦悩」ということでお話をおうかがいしたいと思います。ポーランドの苦悩といいますと、やはり一度国がなくなってしまうことで、まさにその時期にショパンが人生を送っているというところになるわけですね。
もともとポーランドは、たとえばヤゲヴォ朝(1386~1572年)の期間にはヨーロッパのなかでも指折りの大国だった時期もあります。その王朝がなくなった後で、貴族(シュラフタ)たちによって議会政治が始まり、国王を貴族たちが選ぶという民主的な政治が行われますが、逆にそれにつけ込まれてしまった。
しかも、シュラフタによる政治は、一人でも反対があると議決ができないことになっていて、なかなか議決もできない。そのようななかで各国につけ込まれ、ロシア、オーストリア、プロイセンに分割されていくという悲しい歴史をたどります。
シュラフタは貴族といわれていますが、実際にポーランドに行かれると、このシュラフタという言葉を聞いたりされることはあるのでしょうか。
江崎 そうですね。「シュラフタ」という名詞だけではなく、「シュラヘツネ」という言い方をします。これは「シュラヘツナ」というふうにも語尾変化しますが、非常に上品な、高雅な、あるいは典雅な、という感じで、至るところで使われる形容詞です。「とても上品な」という意味があります。
ポーランドには、有名なものだけではなく、至るところに大小のお城があります。博物館になっていたり、避暑地にあってホテルのようにそこで滞在することもできる場になっていたりします。そういうところでは、シュラフタがどういうものを持ち、どういうものを使っていたか、どういう生活をしていたか、今でも見ることができます。ポーランドに行くと、「シュラフタ」というイメージが、絵を見たり、どういう洋服を着ていたということが分かるかと思います。
―― そういうものがあるわけですね。
江崎 そうですね。
●ポーランド分割とコシチューシコの反乱を経て
―― さっきも少し申し上げたように、民主的ではあったのだけれども、つけ込まれて弱体化していくという悲劇的な流れのなかで、第1次分割は1772年、第2次分割が1793年で、この第2次分割でポーランドはほぼ国家機能を失うわけです。
このとき王になったスタニスワフ2世は、もともとロシア皇帝エカチェリーナ2世の愛人だった。しかし意外と、戻ってきたらポーランドの愛国者になってしまって、さらに介入を招くなど、いろいろ悲劇的な流れがあります。
そして、第3次分割の前に起きたのが「コシチューシコの反乱」です。これは愛国者の反乱でしたが、結局、鎮圧され、最終的に国がなくなることになります。コシチューシコという人は、ポーランドに行くとどのような存在になりますか。
江崎 そうですね、コシチューシコは、私がポーランド人家庭に下宿をしていた頃、よく絵で見かけた人です。滔々と演説かなにかを行っていて周りにたくさん民衆や兵隊のいる絵が、部屋にありました。 ですから、コシチューシコというと、昔の英雄のようなイメージがあって、いろいろなところで絵を見る場面が多いと思います。
―― やはり国がなくなったり、(第二次世界大戦の)戦後も言ってみればソ連の共産圏に入ってしまって、何度も国が本当の意味での独立というかたちではないという歴史があるだけに、ショパンもそうでしょうし、コシチューシコもそうだと思いますが、いわゆる愛国的なものに対する思いが非常に熱いということですね。
江崎 そうですね。ポーランド人のアイデンティティのようなものは、ポーランド語に対しても現れます。ポーランド語の美しさというものに対して、ポーランド人は非常に誇りを持っていたりしますし、ポーランドのいろいろなものを守り抜いてきたということはあるかと思います。
●国歌になったドンブロフスキ将軍のマズルカ
―― そして、完全に分割されてしまった第3次分割が1795年なのですが、この後で亡命して、フランスなどでいわゆる亡命ポーランド部隊のようなものを作っていったドンブロフスキ将軍という人のマズルカ、そのときの軍歌が実は今の国歌になっているということなのですよね。
江崎 そうなのです。マズルカが国歌になっているというだけでも、とてもポーランド的なものがあるのですが、 (歌詞で)言っていることはけっこうすごい。「目には目を、歯には歯を」ではないですが(笑)、「自分たちが生きている限り、ポーランドは...