社会人向け教養サービス 『テンミニッツTV』 が、巷の様々な豆知識や真実を無料でお届けしているコラムコーナーです。
愛の宗教キリスト教に「いのちの倫理」を学ぶ
キリスト教は「愛の宗教」、聖書は「いのちの書」であると言われます。聖書の記述は、現代の日本人が日常の意識のままで読んでも、なかなか腑に落ちることはなく、「読もう!」と意気込んでも、尻すぼみになることが多いのではないでしょうか。上智大学神学部で教えている竹内修一氏は、その点を「聖書はハウツー本ではありません」と語っています。どんなふうに読めば、「いのちと愛」の関係がわかってくるのか、静かに耳を傾けてみましょう。
臓器移植や遺伝子治療、脳死など、最先端の医療現場で用いられる「生命倫理(バイオエシックス)」という言葉よりも広いニュアンスで「いのちの倫理」について研究する、氏ならではの受け止め方でしょう。
満たされていないものを相手に求める「エロス」、互いに友愛を結ぶ「フィリア」、ひたすら自分が与える「アガペー」。その3種類が使い分けられているのです。
ヨハネによる福音書13章34節では、「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と記されています。この「愛」はアガペーであり、「ひたすら与える」こと、究極的には「友のために命を捨てる」ことまでが求められているわけです。
同様の問答が三度繰り返されるのですが、これは何を意図しているのでしょう。
一つは、「愛」の使い分けです。イエスがペトロに質問したのは、すべて「アガパオー」すなわちアガペーの言葉で、無償の愛・永遠で無限の愛の有無が問われました。それに対してペテロはへりくだり、「フィレオー」すなわちフィリアという自然な友愛の言葉を用いたのです。イエスはもちろんこれに気づきながら、「今はそれでも仕方がない」と考えられたのだろうと竹内氏は説きます。
この後、イエスは処刑されていきますが、「鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います」と告げられたペテロは全力で否定しながら、鶏鳴を聞いた瞬間に、自分がイエスを三度否んだことに気づき、号泣するのです。イエスが三度「わたしを愛しますか」と尋ねたのは、ペトロの過ちを予見して赦し、「わたしの羊飼いとして」立ち直らせるためでもあったのです。
竹内氏はさらに、マタイによる福音書から、イエス復活後の場面も引用してみせます。11人の弟子たちの中にはよみがえったイエスの姿を見ながら、「しかし、疑う者もいた」と記されています。
そんな彼らに向かって、「あなた方は行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」と伝えるイエスの真意。自分を疑うような弟子であっても、すべてを託し、任せることができた「愛」の大きさを、竹内氏は至上の愛として語るのです。
人によって引き出せるものが違う「いのちの書」聖書
聖書が「いのちの書」と呼ばれるのは、知識ではなく知恵が語られているからです。誰が読んでも同じ内容を引き出せるのが「知識」なら、解釈に幅のあるのが「知恵」。受け取り方や咀嚼の仕方によってまったく違う、現実への生かし方が可能になるのが聖書の面白いところだ、と竹内氏は話します。臓器移植や遺伝子治療、脳死など、最先端の医療現場で用いられる「生命倫理(バイオエシックス)」という言葉よりも広いニュアンスで「いのちの倫理」について研究する、氏ならではの受け止め方でしょう。
聖書が使い分ける3種類の愛
「汝の隣人を愛せよ」とイエスが説いたことは有名ですが、新約聖書で用いられる「愛」の言葉に3種類の違いがあることは、ご存じだったでしょうか。満たされていないものを相手に求める「エロス」、互いに友愛を結ぶ「フィリア」、ひたすら自分が与える「アガペー」。その3種類が使い分けられているのです。
ヨハネによる福音書13章34節では、「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と記されています。この「愛」はアガペーであり、「ひたすら与える」こと、究極的には「友のために命を捨てる」ことまでが求められているわけです。
イエスの愛、ペトロの愛
同じ福音書の21章は、イエスがシモン・ペトロに対して、「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか」と尋ねる場面です。ペトロは「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです」と答え、イエスは彼に「わたしの子羊を飼いなさい」と告げます。同様の問答が三度繰り返されるのですが、これは何を意図しているのでしょう。
一つは、「愛」の使い分けです。イエスがペトロに質問したのは、すべて「アガパオー」すなわちアガペーの言葉で、無償の愛・永遠で無限の愛の有無が問われました。それに対してペテロはへりくだり、「フィレオー」すなわちフィリアという自然な友愛の言葉を用いたのです。イエスはもちろんこれに気づきながら、「今はそれでも仕方がない」と考えられたのだろうと竹内氏は説きます。
この後、イエスは処刑されていきますが、「鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います」と告げられたペテロは全力で否定しながら、鶏鳴を聞いた瞬間に、自分がイエスを三度否んだことに気づき、号泣するのです。イエスが三度「わたしを愛しますか」と尋ねたのは、ペトロの過ちを予見して赦し、「わたしの羊飼いとして」立ち直らせるためでもあったのです。
イエスの愛、ペトロの愛
羊飼いとは、キリスト教を伝道する仕事です。のちにペトロはローマで殉教したと伝えられ、その墓所跡に建てられたのがヴァチカンの総本山、サン・ピエトロ大聖堂です。竹内氏はさらに、マタイによる福音書から、イエス復活後の場面も引用してみせます。11人の弟子たちの中にはよみがえったイエスの姿を見ながら、「しかし、疑う者もいた」と記されています。
そんな彼らに向かって、「あなた方は行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」と伝えるイエスの真意。自分を疑うような弟子であっても、すべてを託し、任せることができた「愛」の大きさを、竹内氏は至上の愛として語るのです。
~最後までコラムを読んでくれた方へ~
雑学から一段上の「大人の教養」はいかがですか?
明日すぐには使えないかもしれないけど、10年後も役に立つ“大人の教養”を 5,300本以上。
『テンミニッツTV』 で人気の教養講義をご紹介します。
次の時代は絶対にアメリカだ…私費で渡米した原敬の真骨頂
今求められるリーダー像とは(3)原敬と松下幸之助…成功の要点
猛獣型リーダーの典型として、ジェネラリスト原敬を忘れてはならない。ジャーナリスト、官僚、実業家、政治家として、いずれも目覚ましい実績を上げた彼の人生は「賊軍」出身というレッテルから始まった。世界を見る目を養い、...
収録日:2024/09/26
追加日:2024/11/20
国の借金は誰が払う?人口減少による社会保障負担増の問題
教養としての「人口減少問題と社会保障」(4)増え続ける社会保障負担
人口減少が社会にどのような影響を与えるのか。それは政府支出、特に社会保障給付費の増加という形で現れる。ではどれくらい増えているのか。日本の一般会計の収支の推移、社会保障費の推移、一生のうちに人間一人がどれほど行...
収録日:2024/07/13
追加日:2024/11/19
だべったら生存期間が倍に…ストレスマネジメントの重要性
新しいアンチエイジングへの挑戦(1)患者と伴走する医者の存在
「百年健康」を旗印に健康寿命の延伸とアンチエイジングのための研究が進む医療業界。そうした状況の中、本職である泌尿器科の診療とともにデジタルセラピューティックス、さらに遺伝子を用いて生物としての年齢を測る研究など...
収録日:2024/06/26
追加日:2024/10/10
石破新総裁誕生から考える政治家の運と『マカーマート』
『マカーマート』から読む政治家の運(1)中世アラブの知恵と現代の日本政治
人間とりわけ政治家にとって運がいいとはどういうことか。それを考える上で読むべき古典がある。それが中世アラブ文学の古典で教養人必読の書ともいえる、アル・ハリーリー作の『マカーマート』である。巧みなウィットと弁舌が...
収録日:2024/10/02
追加日:2024/10/19
遊女の実像…「苦界と公界」江戸時代の吉原遊郭の二面性
『江戸名所図会』で歩く東京~吉原(1)「苦界」とは異なる江戸時代の吉原
『江戸名所図会』を手がかりに江戸時代の人々の暮らしぶりをひもとく本シリーズ。今回は、遊郭として名高い吉原を取り上げる。遊女の過酷さがクローズアップされがちな吉原だが、江戸時代の吉原には違う一面もあったようだ。政...
収録日:2024/06/05
追加日:2024/11/18