社会人向け教養サービス 『テンミニッツ・アカデミー』 が、巷の様々な豆知識や真実を無料でお届けしているコラムコーナーです。
DATE/ 2018.05.04

「シャネル」に学ぶ企業ブランディング

 田中洋氏は、電通からアカデミズムに転身した中央大学大学院ビジネススクール教授。近著の『ブランド戦略論』(有斐閣)は専門書ながら日本初の本格的ブランド体系書として、2017年末の出版以来ビジネスパーソンにもバイブル的な人気を集めています。

 今や「ノーブランド」もブランドの一種としてまかり通る複雑な世の中。「ブランディングは終わった」と、うそぶくやからも増えています。彼らをハッとさせるのは、「ブランドのプラセボ(偽薬)効果」という研究結果。よく効くと知られているブランドをつけた頭痛薬と、ブランドをつけない頭痛薬で実験すると、薬とプラセボ(偽薬)の関係で知られているのと同様の結果が出るのだそうです。

 つかみどころのないブランドは、実は表層的であり本質的なのだと田中氏は言います。『ブランド戦略論』には30社以上のブランド構築ストーリーを紹介していますが、代表的な成功例とされるのはシャネルのストーリーです。

際立った存在ではなかったシャネルの成功と「起源の忘却」

 ココ・シャネル。1883年生まれで、1971年に亡くなりました。彼女の87年の人生は、「シャネル」というブランドづくりの基礎となりました。しかし、意外なことに、同時代のファッション・デザイナーと比べたシャネルは「とりたてて際立った存在ではなかった」と田中氏は言います。

 シャネルが人気を集めたのは1920年代、映画『巴里のアメリカ人』に描かれた時代のパリで、ピカソやジャン・コクトー、ストラヴィンスキーなどの芸術家と彼女が交際していたことが大きな原因の一つです。その頃ようやく盛んになったフォト・ジャーナリズムによって、ココ・シャネルは有名人、現在でいう「セレブ」にまつりあげられました。

 当時、才能のあるデザイナーと衆目が一致したのはイタリア人のエルザ・スキャパレリです。ショッキングピンクを世に広めたこと、メタ・ガーメントというだまし絵のようなデザインで有名ですが、ブランド化にはいたりませんでした。

 コルセットからの解放など、女性ファッションのあり方を転換したのは、シャネルだけでなくスキャパレリやポール・ポワレなどのパイオニア的デザイナーたちでしたが、その成果のほとんどは今やシャネル一人に還元される結果となっています。このことを田中氏はブランドにおける「起源の忘却」と呼んでいます。

新しい価値の創造を考え抜いたキャリア・ウーマン

 最初に「プラセボ効果」の話をしましたが、シャネルのブランド構築は、それまで価値のない「まがいもの」だと思われていたものを「本物」と認めさせ、「新しい価値」を作り出す努力に終始しています。

 たとえば、「シャネルの5番」はマリリン・モンローで有名になった香水ですが、香水の業界に「化学」を持ち込んだのはシャネルでした。それまでの「花を搾ったものがフレグランス」という常識を塗りかえ、工業社会を先取りしたのです。

 また、現在ではキャリア・ウーマンに愛用されるシャネル・スーツは、シャネルが当時付き合っていたウェストミンスター侯爵の影響を受け、イギリスの軍服からヒントを得たと言われています。男性用の制服が、女性用として定番のスーツになったわけです。

 さらに、模造宝石を使いこなしたのもシャネルです。アクセサリーを求める人は「ココ・シャネルのジュエリー」としての価値を認めるばかりか、「古い慣習からの解放」という付加価値まで、そこに見いだしています。まさにブランディングの力と言えるでしょう。

ラガーフェルドが継承したシャネルというブランド

 第二次世界大戦後、シャネルは一時、表舞台から姿を消します。彼女の名前がもう一度パリのファッション界によみがえるのは、進駐してきた米兵の「お土産」を通じて、巨大なアメリカ・マーケットを香水で魅了したせいでした。パリにシャネルが再度店を出せたのは、戦後7~8年も経ってからです。

 「シャネルの再挑戦」として名高いこの頃、世界的にはクリスチャン・ディオールのニュールックが大人気を集め、ココ・シャネルはすでに70代に入っていました。87歳で彼女が亡くなった後10年ほど、シャネルのブランドは忘れられていましたが、蘇らせたのはカール・ラガーフェルドの功績です。

 現在のシャネルでは、ラガーフェルドのディレクションによる時代にマッチしたコレクションが毎年世界を騒がせ、その水面下をココ・シャネルのストーリーが支えている、と田中氏は分析しています。

 目に見える「ブランド」は氷山の一角、そのほとんどは経営努力の賜物だという話でした。
~最後までコラムを読んでくれた方へ~
自分を豊かにする“教養の自己投資”始めてみませんか?
明日すぐには使えないかもしれないけど、10年後も役に立つ“大人の教養”を 5,600本以上。 『テンミニッツ・アカデミー』 で人気の教養講義をご紹介します。
1

平和の実現を哲学的に追求する…どんな平和でもいいのか?

平和の実現を哲学的に追求する…どんな平和でもいいのか?

平和の追求~哲学者たちの構想(1)強力な世界政府?ホッブズの思想

平和は、いかにすれば実現できるのか――古今東西さまざまに議論されてきた。リアリズム、強力な世界政府、国家連合・連邦制、国連主義……。さまざまな構想が生み出されてきたが、ここで考えなければならないのは「平和」だけで良...
収録日:2025/08/02
追加日:2025/12/08
川出良枝
東京大学名誉教授 放送大学教養学部教授
2

PDCAサイクルを回すための5つのプロセスとそのすすめ方

PDCAサイクルを回すための5つのプロセスとそのすすめ方

プロジェクトマネジメントの基本(3)プロジェクトのすすめ方

プロジェクトを進める際にPDCAサイクルの概念は欠かせない。国際標準PMBOKでは、PDCAを応用した「立上げ」「計画」「実行」「監視コントロール」「終結」の5段階をプロジェクトに有用とし、複数フェーズでそれを回す。ステーク...
収録日:2025/09/10
追加日:2025/12/10
大塚有希子
法政大学専門職大学院イノベーションマネジメント研究科准教授
3

なぜ空海が現代社会に重要か――新しい社会の創造のために

なぜ空海が現代社会に重要か――新しい社会の創造のために

エネルギーと医学から考える空海が拓く未来(1)サイバー・フィジカル融合と心身一如

現代社会にとって空海の思想がいかに重要か。AIが仕事の仕組みを変え、超高齢社会が医療の仕組みを変え、高度化する情報・通信ネットワークが生活の仕組みを変えたが、それらによって急激な変化を遂げた現代社会に将来不安が増...
収録日:2025/03/03
追加日:2025/11/12
4

『富嶽三十六景』神奈川沖浪裏のすごさ…波へのこだわり

『富嶽三十六景』神奈川沖浪裏のすごさ…波へのこだわり

葛飾北斎と応為~その生涯と作品(2)『富嶽三十六景』神奈川沖浪裏への道

役者絵からキャリアを始め、西洋の画法を取り入れながら読本の挿絵を大ヒットさせた葛飾北斎。その後、北斎が描いていった『北斎漫画』や浮世絵などの数々は、海外に衝撃を与えてファンを広げるほどのものになっていく。60代は...
収録日:2025/10/29
追加日:2025/12/06
堀口茉純
歴史作家 江戸風俗研究家
5

深刻化する中国の人権問題…中国共産党の思惑と人権の本質

深刻化する中国の人権問題…中国共産党の思惑と人権の本質

中国共産党と人権問題(1)中国共産党の思惑と歴史的背景

チベット、内モンゴル、新疆ウイグルなど、少数民族に対する深刻な人権侵害をめぐって欧米諸国から強い批判を浴びている中国。しかし、こうした人権問題は今に始まったことではない。中華人民共和国建国の経緯と中国共産党の思...
収録日:2021/10/15
追加日:2021/12/24
橋爪大三郎
社会学者 東京科学大学名誉教授 大学院大学至善館教授