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DATE/ 2021.10.15

知られざる「平民宰相」原敬の虚像と実像に迫る

 明治維新は、政治形態の大きな転換点でした。このとき、現代日本では当たり前の価値観ともいえる、民主主義や国民主権が導入されました。しかし、民主主義かつ国民主権、言い換えれば“すべての人々を相手とする政治”の実現は、容易なことではありません。

 結果として、明治期だけでは成し遂げることはできず、民主主義の本格的な実践は「大正デモクラシー(democracy;民主主義)」と呼ばれた、大正時代からとなります。そして、そのための複雑な舵取りを担った政治家こそが、「平民宰相」と称された稀代の政治家・原敬です。

 原の実績を教科書的に説明すれば、(1)1918(大正7)年に「初の本格的政党内閣」を樹立したこと、(2)憲政史上初めて爵位を持たない総理大臣に就任したこと――の2点が挙げられますが、残念ながら今日においても一般的には、それ以上の実績がわかりにくい人物といわざるを得ません。

 しかし、政党が党首(総裁)を選び、さらに総選挙で多数の議席を得た政党が国政運営の要となる「政党政治」は、今日に続く政治形態です。そして、政治形態が国の政策基盤となる以上、日本における政党政治の歴史を正しく適切に認識し、今日的な喫緊の課題に活用しつつ未来に備えることは、民主主義の担い手といえる“すべての人々”に求められる、メタ的なソーシャルスキルともいえます。

 そのためにも大いに参考となる一冊として、慶應義塾大学総合政策学部教授で日本政治外交論やオーラル・ヒストリーを専門とする、清水唯一朗先生の『原敬 「平民宰相」の虚像と実像』が刊行されました。

原敬・立身編―賊軍に生まれ平民となり、政治に立つ

 本書の前半には、原の生い立ちから政治を志すまでの立身編ともいえる前半生が、詳細に記されています。

 1856(安政3)年に盛岡藩の家老格・原家の次男として誕生した原は、1868(明治元)年の12歳のときに戊辰戦争での敗戦に遭い、はからずも賊軍の一員となります。しかしながら、盛岡藩が教育熱心であったことや原自身が優秀だったことなどもあり、藩校で漢学を学び、東京への遊学も果たします。とはいえ、最初の東京遊学は学費をだまし取られたり、思ったように学問が振るわなかったりで、盛岡に帰郷することになったそうです。

 この頃、原は幼名の健次郎から敬に改名します。清水先生は「改名は、若き原の志を知るうえで大きな意味がある。“敬”は朱子学の入門書である『近思録』から採ったという。同書によれば、敬は中心にあって心を支えるものであり、それによって仁、義、礼、智、信を整えて道理に叶った生き方を導く」と、述べています。また、実家の戸籍を離れ、平民となることを選びます。

 心機一転、原は再び上京しカトリック系の神学校でフランス語の習得に励むなど苦学を経て、司法省学校へ入学、優秀な成績を修めます。しかし、薩摩閥の校長と対立し、司法省学校の放校処分を受け、新聞業界に転じました。新聞業界でのキャリアを民権記者から開始。やがて政府御用新聞記者となり、さらに地方視察の経験などを積むなか、地方自治への見解や国内の動向への知見といった内政感覚を深めていきます。

 そして、井上馨、陸奥宗光に認められ、農務省や外務省の官僚となって改革に辣腕を振るい、外務次官まで栄進します。その後、優れた政治手腕を買われた原は政界に転じ、いよいよ政治での立身を邁進することになります。

原敬・出世編―政治家として活躍し、平民宰相となる

 本書の後半では、満を持して政界に進出した原が、稀代の政治家へと出世していく後半生が、詳細に記されています。

 1900(明治33)年、原は伊藤博文に従い「立憲政友会」(通称「政友会」)の創設に参加し、衆議院に議席を得ます。政友会での原は、大正政変や米騒動などで民主主義(デモクラシー)の気運が高まる激動の時代に、旧来の藩閥政治家をはじめとした政敵を向こうにして立憲政治の実現に努めます。

 日清・日露戦争後の「桂園体制」とよばれる元老の桂太郎と西園寺公望が政界の中心にいた約7年間のうち、同じく元老かつ政敵であった山県有朋と対立しながら制度改革を進め、さらには西園寺内閣では二度にわたって内務大臣を務めて内政を整え、他方で欧米見聞を行い世界の変化の速さを肌感覚で知り、自身の政治観にも取り込んでいきます。

 1912(大正元)年7月30日、時代は明治から大正へと替わります。桂園体制崩壊後、1913(大正2)年には、原たち政友会の脅威となる立憲同志会が誕生し、日本政治の二大政党への道がひらかれます。

 また、長年の仇敵ともいえる大隈重信率いる第二次大隈内閣期に、難局を乗り切り政友会総裁に就任。続く寺内正毅内閣期にも、山県有朋に政党政治を阻まれるものの「是々非々主義(よい事をよいとし、悪い事を悪いとする主義)」を貫き、藩閥と国民のあいだに立って政党政治の未来を健全に育んでいくことと並行して、原自身は政治家としての力量を蓄えていきます。

 そしていよいよ、1918(大正7)年9月2日、原敬内閣が発足します。原は、(1)衆議院であり、(2)爵位を持たず、(3)藩閥の出身ではない――初めての総理大臣、いわゆる「平民宰相」となります。

 同時に、明治維新から50年という節目の年に、賊軍といわれた地に生まれながら、ひたむきに学び、働き、苦しみを乗り越えて首相の座についた原の大出世に、明治維新の決意表明ともいえる「五箇条の御誓文」の第三項「すべての人々が志を遂げ、希望を失うことのない世にする(原文書き下ろし:官武一途庶民に至る迄各其志を遂げ人心をして倦まざらしめんことを要す)」の達成を実感した人々は、原内閣を驚きと賞賛の声で迎えます。また、世界的にも民主的と映る原内閣の誕生が、日本の歴史的な転換点となることを期待されます。

 ちなみに、「宰=つかさどる」「相=たすける」の意味があり、古代中国で君主をたすけて政治をつかさどった最高の官職が「宰相」と呼ばれたことから、転じて行政機関のトップは「宰相」と称されるようになりました。また、原家の家格は高く、原自身の活躍もあって、実は原は何度も叙爵の機会を得ることになります。しかし、原は“爵位を持たない=平民”であることこそが自身の政治家生命の要と理解していたため、叙爵を断り続けています。閑話休題でした。

 原内閣は「四大政綱」と称する重要課題、(1)教育の改善、(2)交通インフラの整備、(3)国防の充実、(4)産業貿易の振興――を掲げます。そして、そのためにこそ、就任直後の演説で「物価の安定」を力説。以降も宰相としての原は、国民の安心を重視する姿勢を一貫します。

 ロシア革命、スペインインフルエンザの襲来、戦後恐慌などの混沌とした時代のなかで、選挙制度の改革、軍部の抑制、シベリア出兵、パリ講和会議の交渉など、難しい政策の舵取りに務め、成果を上げていきます。

 しかし、1921(大正10)年11月4日、東京駅で暗殺され、政治家としての志半ばのまま、突然に65歳の生涯の幕が下ろされます。

原敬の大いなる遺産を納めた一冊

 本書では、実績のわかりにくい原を一冊にまとめるために、清水先生は「原敬の虚像と実像に迫る三つの視点」を挙げています。

1)激しく変化する近代日本のなかで、原がどのように自分の人生を切り拓いてきたのか。
2)日清・日露戦争により日本の位置が大きく変わり、欧州大戦によって世界の秩序が大きく変化する不安定な時代のなか、初の「平民宰相」である原がどのような舵取りをしたのか。
3)そうした原の人生や政治を、社会はどう見ていたのか。

 この三つの視点は、原敬という人物像をわれわれ現代の読者にもわかりやすくよみがえらせてくれます。そのため本書は、稀代の政治家・原敬の入門書としても最適なだけではなく、政党政治の確立の過程や立憲政治実現のための政争史を学んだり復習したりするためにも優れた、貴重かつ読みやすい評伝となっています。

 「激しく変化する時代のなかで生きることは容易ではない。しかし、原は自ら選んだ“敬”という字が意味するように、たしかな自己をもって生き抜いた。人々がそれぞれの夢を描き、実現できる社会を作るという日本の近代の理想は、たしかに実現できる」と、清水先生は説きます。

 本書をひも解き、日本政治の開拓者ともいえる原に触れることが、未来に生きる私たちのために、彼が残してくれた大いなる遺産を自身に取り入れるための、最初の一歩になるのではないでしょうか。もはや「政治嫌い」などといってはいられないような、ある側面では明治維新や大正改変期よりも激動の現代を生きる私たちに、たくさんの示唆を与えてくれる一冊です。

<参考文献>
原敬 「平民宰相」の虚像と実像』(清水唯一朗著、中公新書)
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2021/09/102660.html

<参考サイト>
清水唯一朗先生の研究室のホームページ
http://web.sfc.keio.ac.jp/~yuichiro/
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