テンミニッツTV|有識者による1話10分のオンライン講義
会員登録 テンミニッツTVとは
社会人向け教養サービス 『テンミニッツTV』 が、巷の様々な豆知識や真実を無料でお届けしているコラムコーナーです。
DATE/ 2022.10.13

『ミャンマー現代史』で鳥瞰する軍事化と民主化のクロニクル

 2021年2月1日、ミャンマーで勃発した軍事クーデターのニュースが世界中を駆けめぐりました。

 世界中で民主化が進む現代において、ノーベル平和賞受賞者でミャンマーの事実上の最高指導者であるアウンサンスーチー氏を中心とした政府中枢が、ミャンマー軍最高司令官のミンアウンフライン上級大将とした軍に一発の銃弾も放つことなく掌握されたこと。さらに、軍事クーデター後に全国に広がったが抵抗運動に参加する市民に軍が容赦なく実弾を発砲したことに、数多くの人がショックを覚えたことでしょう。

 しかし、ニュースを聞いて「軍事クーデターが起こった」という事実は認識できたとしても、東南アジアの西に位置するミャンマーでいったい何が起こっているのか、なぜそうなったのか、そして現状はどうなっているのかなど、よくわからない人も多いのではないでしょうか。そのような疑問に真正面から取り組んだ一冊の新書、『ミャンマー現代史』が刊行されました。

ミャンマー現代史のエキスパート・中西嘉宏先生

 著者である中西嘉宏先生は、京都大学東南アジア地域研究研究所准教授。専攻はミャンマー政治、東南アジア地域研究、比較政治学と、まさにミャンマー現代史のエキスパートです。

 本書において中西先生は、「スーチーはなぜクーデターを防げなかったのか」「市民に暴力を振るってまで軍はミャンマーをどうしたいのか」「民主化勢力に勝機はあるのか」「国際社会は事態をなぜ収束させられないのか」といった問いを立て、「たとえ朧ろげではあっても、ミャンマーの行方を見通すこと」を課題としています。

 そのために、序章「ミャンマーをどう考えるか」では、ミャンマーという国をどうみるのかについて、中西先生の基本的な視座を提示しつつ、本書が主に対象とする1988~2011年以前の時代について大きな流れがまとめられています。

ミャンマー現代史クロニクルと4人のキーマン

 つづく本論となる各章では、軍事クーデターの背景にせまるべく、2021年の政変をひとつの政治経済変容の終着点とみなして、1988年からはじまる約35年間のミャンマー現代史が描かれています。具体的には以下の4人の国家最高権力者たちを中心としたクロニクルで構成され、論証へと進んでいます。

(1)1988~2011年:タンシュエ(軍人・政治家)
(2)2011~2016年:テインセイン(軍人・政治家)
(3)2016~2021年:アウンサンスーチー(民主化運動指導者)
(4)2021年~現在:ミンアウンフライン(軍人・政治家)

 まず1988~2011年、タンシュエ氏が最高権力者であった時代が、第1章「民主化運動の挑戦(1988-2011)」と、第2章「軍事政権の強権と停滞(1988-2011)」です。1988年から始まった民主化運動がアウンサンスーチー氏を政治指導者とし民主化を求める大衆運動へと変容した一方で、軍と民主化勢力という基本的な対立構図が生まれた時代。なぜ国民から反発を受け、欧米の制裁で国際的に孤立し、経済を停滞させながらも、23年間も軍事政権が続いたのか、その理由を探究しています。

 つぎの2011~2016年、テインセイン氏が最高権力者であった時代は、第3章「独裁の終わり、予期せぬ改革(2011-2016)」です。軍事政権からの転換といえる2011年の民政移管に焦点を当てると同時に、5年間続いたテインセイン政権下の政治と経済を検証しています。

 つづく2016~2021年、アウンサンスーチー氏が最高権力者であった時代は、第4章「だましだましの民主主義(2016-2021)」です。ミャンマーを民主化に導く指導者として世界中から期待されたアウンサンスーチー氏が最高権力者の座に就いた5年間を、スーチー政権の実態を通しても論じています。

 そして2021年~現在、ミンアウンフライン氏が最高権力者である時代は、第5章「クーデターから混迷へ(2021-)」です。冒頭でも述べた、2021年2月1日に起きたクーデターを検討しつつ、その後の余波として混迷が続くミャンマーの現状を考察しています。

変容するアジアと世界を前にした心構えを説く一冊

 さらに、第6章「ミャンマー危機の国際政治(1988-2021)」と、終章「忘れられた紛争国になるのか」では、約35年間のミャンマーに対する世界や日本が行ってきた動向を概観すると同時に、ミャンマーのこれからに対して今だからこそ民主的な理念を共有した国々や日本ができることを省察しています。

 以上のように本書の主軸は、23年間続いた軍事政権のあと、2011年から進んだ民主化・自由化・市場経済化・グローバル化の試みがクーデターによって頓挫した2022年現在から振り返る、約35年間のミャンマー現代史です。

 中西先生は「断言してもよい。この国(ミャンマー)がクーデター前の状況に戻ることはない。混迷含みの新たな時代に突入する。だが、その新たな時代がどういったものになるのかは、いまだに像を結ばない」と述べています。エキスパートの中西先生をもってしても、ミャンマーが予断や想像すらおよばない、厳しい状況下にあることがうかがえます。

 ミャンマーは同じアジア地域に属し、日本と縁が深い国です。しかしながら、このままではやがて多くの人が約5000キロも離れた紛争国として忘れてしまいかねません。「忘却でも単純化でもなく、現実を変えるための冷めた他者理解が必要とされていると思う。現状の救いのなさに戸惑うことになるかもしれないが、それでも、変容するアジアと世界を前にした大事な心構えだろう」と、中西先生は説いています。

 個人であっても国であっても、歴史に学ぶことはとても大事です。ただ、そのなかでも現在と地続きの現代史と真正面から向き合うことは、ときに痛みを伴うため、簡単なことではありません。それだけに、現在までの約35年間と真摯に対峙した本書は、グローバリゼーション民主主義の恩恵と弊害を読み解くための合わせ鏡としての現代史にもなりえる、大変貴重な一冊なのです。まさに混沌とする今の時代から未来を考えるために、ぜひ本書『ミャンマー現代史』を手に取り、ページをめくってみてください。

<参考文献>
『ミャンマー現代史』(中西嘉宏著、岩波新書)
https://www.iwanami.co.jp/book/b609322.html

<参考サイト>
京都大学東南アジア地域研究研究所
https://kyoto.cseas.kyoto-u.ac.jp/
~最後までコラムを読んでくれた方へ~
より深い大人の教養が身に付く 『テンミニッツTV』 をオススメします。
明日すぐには使えないかもしれないけど、10年後も役に立つ“大人の教養”を 5,600本以上。 『テンミニッツTV』 で人気の教養講義をご紹介します。
1

江藤淳と加藤典洋――AI時代を生きる鍵は文芸評論家の仕事

江藤淳と加藤典洋――AI時代を生きる鍵は文芸評論家の仕事

AI時代に甦る文芸評論~江藤淳と加藤典洋(1)AIに代わられない仕事とは何か

昨今、生成AIに代表されるようにAIの進化が目覚ましく、「AIに代わられる仕事、代わられない仕事」といったテーマが巷で非常に話題となっている。では、AIに代わられない事とは何であろうか。そこで、『江藤淳と加藤典洋』(文...
収録日:2025/04/10
追加日:2025/06/25
與那覇潤
評論家
2

寝ないとよく食べる…睡眠不足が生活習慣病を招く理由

寝ないとよく食べる…睡眠不足が生活習慣病を招く理由

睡眠と健康~その驚きの影響(1)睡眠が担う5つのミッション

私たちに欠かせない「睡眠」。そのメカニズムや役割についていまだ謎も多いが、それでも近年は解明が進み、私たちの健康に大きく関与することが明らかになっている。まずは最新情報を盛り込んだ睡眠が果たす5つの役割を紹介し、...
収録日:2025/03/05
追加日:2025/06/05
西野精治
スタンフォード大学医学部精神科教授
3

リスクマネーの不足とは?日本の金融構造の課題と対策

リスクマネーの不足とは?日本の金融構造の課題と対策

日本の財政と金融問題の現状(3)リスクマネー不足と金融構造の課題

日本では、ベンチャー企業などへのリスクを伴う投資、いわゆる「リスクマネー」の供給が不足している。日本の金融市場においてその状況を打開するためには、マクロな市場整備と機関投資家の育成が必要だ。欧米に事例を参照しな...
収録日:2025/04/13
追加日:2025/06/24
木下康司
元財務事務次官
4

世界一の投資家ウォーレン・バフェット…賢人と呼ばれる理由

世界一の投資家ウォーレン・バフェット…賢人と呼ばれる理由

ウォーレン・バフェットの成功哲学(1)「世界一の投資家」の実像

「世界一の投資家」として有名で、バークシャー・ハサウェイの経営者でもあり、世界有数の資産家、さらに慈善家でもあるウォーレン・バフェット。2021年8月で91歳を迎えたが、今でも現役の投資家として活躍し、彼の一挙手一投足...
収録日:2021/09/15
追加日:2021/11/03
桑原晃弥
経済・経営ジャーナリスト
5

ガザの悲劇…ハマスがいなくなることで起こる逆説

ガザの悲劇…ハマスがいなくなることで起こる逆説

トランプ2.0と中東(4)ガザの悲劇と『マカーマート』

ネタニヤフ首相による戦闘再開はイスラエル社会の分断を強化した。首相は自分の政治生命を延命するために住民たちの命を捨て駒として扱ったわけだが、ガザ住民は同様の仕打ちをハマスからも受けている。親子が生死を分けるさま...
収録日:2025/04/10
追加日:2025/06/22
山内昌之
東京大学名誉教授