●日本人の不思議な宗教感覚
先ほどから言っているように、日本人は非常に多様性に富んだ民族ですから、仏も神もどちらも非常に大切にします。これが、日本人の一つの特徴です。外国の方から見たら、日本人は実に不思議な民族です。本当に不思議な民族なのです。外国の方は、一神教である場合がほとんどでしょう。そういう方々にとって、自分が信仰している仏様や神様以外に、別の神様を信仰するということは、あり得ないことです。
ところが、日本人はどうでしょうか。全く平気です。複数の神様でも複数の仏様でも皆、受け入れます。12月になったらクリスマスで、キリスト教の神様を受け入れます。1月には除夜の鐘です。そしてその続きで、お宮参りして手をたたいて帰ってきます。
宗教学者の山折哲雄先生がお話ししていましたが、現在のイスラエルにキリスト教とユダヤ教とイスラム教の聖地があります。それぞれの信者たちは、あの地へ巡礼の旅をします。もちろんそれぞれの宗を信仰している人たちは、絶対に自分が信仰している神様しか拝みません。しかし、日本人が行ったらどうするでしょうか。「せっかく来たんやから」と、全てに行くでしょう。絶対行きます。そういう国民性があるのです。
外国の方から見ると、それは非常に不思議であるし、また非常に宗教感覚が駄目だというように見えるはずです。しかし実は、それこそが日本人の宗教感覚なのです。それが、日本の宗教性です。そういうことが言えるかと思います。
●神々も祀り、仏も拝む
そういう形で私たちは、仏教を受け入れました。しかし、当然のようにそのまま神様の道も執り行われてきています。その決定的な証拠が、資料の23番です。
これは、法隆寺が建立された西暦607年のものです。この年に、推古天皇が詔を発しておられます。その詔の内容が、ここに書かれています。
「推古十五年の春、二月の庚辰の朔(中略)戊子(九日)、詔してのたまう。朕聞く、曩者、我が皇祖の天皇等、世を宰めたまうことを、天に跼り地に蹐みて、敦く神祗を礼びたまう。周く山川を祠り、幽に乾坤に通す。是を以て、陰陽開け和ひて、造化共に調る。今朕が世に当たりて、そして、神祗を祭い祀ること、豈に怠ること有らんや。故、群臣、共に心を竭して、神祗を拜るべし」
推古天皇は、仏教受容を宣言した人です。そうして、あちらこちらに既にお寺をいくつも建てている最中です。その人が、このように言っているのです。簡単にいうと「私は聞きます」ということです。昔の私たちのご先祖方である皇祖は、世を治めるに際して、「これ天に跼り地に蹐みて」、天の神様に触らないようにそっと腰をかがめ、そして「地に蹐みて」、地の神様を傷つけないように、要するに踏んでへこむことのないようにそっと抜き足で歩き、さらに今度は「神祗」天の神様、そして国の神様方を祀ってきた。そうやって敬ってきた。あまねく山や川のいろいろな精霊や神様をお祀りし、そして、「幽に乾坤に通す」、ほんの少しだけだが、天と地にいる神々に、自分たちの誠意が伝わっているはずだ。こういうことです。
さらに「是を以て、陰陽和ひ、造化共に調る」。ここでいう陰陽とは、年がら年中ということです。「年中和い開けて」、気象状況や天災といったもの全てが和いである。そのような天の成り立ち(造化)、世間の自然に由来する日本の成り立ちと非常に調整した、協調した、調和の取れたものである。そして「今朕が世」、私の世の中に当たっては、こういう神々をお祀りして、絶対にお祀りを怠るようなことをしてはいけません。こういうことをおっしゃったのです。
●聖徳太子の理想的社会像
その次に参りましょう。これは15日ですから9日に発せられて5~6日後のことです。次の24番です。
「甲午に皇太子及大臣と、百寮を率て、そして、神祗を祭ひ拜ぶ」
聖徳太子さんと蘇我の大臣が、官職にある人たちを引き連れ、そして神様を拝んだということがはっきり書かれています。これが何を意味するか。まず一つは、聖徳太子さんのベースというものが、神にあるということです。神様を祀ることは、皇族である限り、絶対に抜けられないことです。これをすることが皇族の仕事です。それをしなかったら、はっきりいって職場放棄になります。ですから、彼のベースはそこにあります。
そして、たまたま聖徳太子は蘇我家という皇族ですから、渡来系の友だちが非常に多いのです。そういう友人関係の中で暮らしてきて、彼らと交流していました。そして先ほど言いましたように、そういう人たちは、既に仏教を信仰していました。ですから当然、聖徳太子さんの耳にも彼らのことは入ってきます。
問題は、その中で仏教が聖徳太子さんの目にどう映ったのかということです。これは、当時中国で行われて...