●乱世を治めようとして「火に油を注ぐ」ようなことをしていないか
前回からの部分が続いていますので、そこまで読んでみましょう。「譬へば薪(たきぎ)を負ひて火を救ひ」。これはどういうことかというと、注意です。火が出たとなって消さなければいけないというときに、背中に薪を背負って防火に努めているようなことになっていないか。一見、防火に努めているようだけれど、反対に火の勢いをどんどん増してしまうような行為をしていないかという注意を示しています。
さらに「湯を揚げて沸を止める」。沸騰しているところに水を加えるのではなく、さらにお湯を加えてしまうようなことをやってはいないか。事態をさらに煽ってしまうようなことをしていないかどうかということです。
「暴を以て亂に易(か)へ、亂と道を同じくす」。「暴を以て亂に」、乱暴な行為でもって、そうあるべきものだと考えてしまう。「私は正しい」という根拠は、実は皆こういう行為を基にしてしまっている。客観的に見れば見るほど、あたかも薪を負いて火を救い、湯を揚げて沸をとどめるような、そういう行為になってしまっている。それが「亂と道を同じくす」、自分の行いは皆、暴にして乱である。自分の行いは、暴虐にして乱暴な、乱れる原因をつくっているのだということです。
●リーダーとは、手本であるべき存在だ
「其れ則(のっと)る可けんや」。すごいですね。これは何を言っているか。今まで言ったようなことは「手本にできない」と言っています。人間というものは、正しい行為をしようと思ったら、必ず手本が必要です。何歳になっても、手本が重要なのですが、本来トップは手本となる存在である。
私がいつも上司心得として、上司のあるべき姿を話すときに言っているのは、「上司は手本なり」です。上司は、ただいるのではありません。「こうやって会社生活を送ってください」とか、「こうやって業務を進めてください」という手本として存在しているのが、上司です。だから、上に立つ者は全て手本である。「手本として、こんなことをしていいのかな」というように思ってくれと、ここでは言っています。
そうでないと「後嗣」、跡継ぎは「何をか觀ん」。何を手本としたらいいのかということになります。「夫れ事」、手本として「觀る可き無ければ」。そういう人が、手本として見るものがないとどうなるのか。だ...