●『貞観政要』の主人公・李世民(太宗)
『貞観政要』の登場人物を少し解説しておきましょう。まず太宗、李世民です。李世民は次男で、兄には李建成という人がいました。どちらかというと、次男である李世民は非常に武術に優れていたため、若い頃から一軍を率いて、成敗をしに辺境に向かっていきました。長男である李建成という人は、タイプとしてそういう人ではありませんでした。そのためいつも、次男にしてやられてしまうところがありました。そういう意味で、長じてくればくるほど、長男から見て次男はだんだん「目の上のたんこぶ」として見えてきます。
その結果どうなったのか。626年6月に玄武門の変という事件がありました。これは長男(李建成)が次男を討とうとした事件です。長男、それから三男、四男が一緒になり次男を討つという計画でしたが、これを太宗の部下たちがそういう動きがあることを目ざとく察知し、事前に防いだために次男の方が勝ちました。それで、次男が政権に就いたのです。
『貞観政要』を読んで私がまず感心するのは、武闘派であった次男が政権に就くやいなや、武断政治から文治政治へがらりと変えたことです。文治政治に変えるということは、基本的に、トップの人柄や人格、徳のあり様が問われるということです。およそそういうこととは縁遠いところで活躍してきた自分は、武断政治であれば得意中の得意なのですが、いつも自分の徳のなさや文治政治におけるリーダーシップのなさを自覚し、自問自答している。こういうところがすごいと思います。
その最大の原因は何か。自分の兄や弟と戦わざるを得ない状況になり、彼らを成敗せざるを得なかった。身内を討たなければいけなかった無念さが、どこかにあります。そういう無念さの反動として、彼は立派なリーダーにならなければいけないということを、しょっちゅう思っていたところがありました。
●李世民に使えた四人の部下たち
また、太宗(李世民)だけで貞観の世ができたわけではありません。ここに四人の非常に俊逸で優秀な部下がいました。私は、この四人がまず注目しなければいけないポイントがあると思います。家康も、これをまねて四天王という存在をつくりましたが、ではなぜ四つでなければいけないのか。真ん中に太宗が入ると、5本足の椅子、あるいは机になりますね。五つの脚があるということは、ものすごく安定感が...