●それでも長期政権は難しい
第五章を読みます。ここが最終章です。「貞觀十五年、太宗、侍臣に謂ひて曰く」。左右に侍っている臣下に「謂ひて曰く」、「天下を守ること難きや易きや」。天下を守ることは難しいか易しいか。魏徴は答えて言います。「甚だ難し」と。
「太宗曰く、賢能に任じ諫諍を受くれば則ち可ならん」。魏徴は賢い能吏です。魏徴のような才能のある人間を登用して、彼はきちんと諫諍、強く諌めてくれる。そういうことをやっていても、まだ国は危ういのか? と魏徴に聞いたのですね。「何ぞ難しと爲すと謂はん」。そういう状況であれば難しいということはないだろうが、どうなのだ? と太宗は魏徴に問います。
それに対して、魏徴がこう言います。「古よりの帝王を観るに」。歴史を見るにつけ、「憂危の閒に在るときは」、国家が非常に危うい状態であるときは、「則ち賢に任じ諫を受く」。大体のトップは全て賢人を招いて彼を任じ、その諌めはきちんと聞いてきた。しかし、ひとたび「安樂に至るに及びては、必ず寛怠(かんたい)を懐(いだ)く」。緊張感がなくなり、危機感がなくなると、怠惰になってしまう。
君主が「安樂を恃みて寛怠を欲すれば」。安楽、常に「もう少し愉快にやろう」とか「楽しもう」という方に行ってしまい、非常に心が緩んで怠惰になってしまえば、「事を言ふ者、惟だ兢懼せしむ」。諫言などをする人間はいなくなる、ということです。
●何もない時にも、常に「畏れ」を忘れるな
「日に陵し」、これは次第次第ということです。「日に陵し月に替し」とは、次第次第にで、「以て危亡に至る」。これは知らないうちに、気がついてみたら取り返しのつかないことになっていたという状態を意味します。「聖人の安きに居りて危きを思ふ所以」。昔の聖人のすごさは、この一点にあります。それはどこか。安きにいて、常に危うきを思う。ここが重要です。「正に此が爲」だ。したがって「安くして而も能く懼る」。安泰な状態にいても、どこかで天を畏れ、民を畏れていることが重要です。
「豈に難しと爲さざらんや」。しかし、それは非常に難しいことだと思い、その気になって自分を戒めていただく。これこそが、安泰な時代を築いていく大本です。ここにトップリーダーのあるべき要点があります。魏徴は太宗に、ずばっとこの要点を言いました。
魏徴と太宗のやりとり...