●部下の諫言に向き合う皇帝・太宗
「太宗、手詔(しゅしょう)して答へて曰く」。魏徴の諫言に対して、ずっと手ずから書をしたためて、それで「答へて曰く」。「頻りに表を抗ぐるを省するに」。何度もこうやって自分に対して意見書を挙げて、省みてくれと言っている。「誠、忠款(ちゅうかん)を竭(つく)し」。本当に真心を尽くしてくれた。魏徴が吐いている「言」は「切至を窮む」。懇切周到を極めている。
「披覽(ひらん)して倦むを忘れ」。私はあなたの諫言書を見て開いて、飽きることもなく読みふけり「毎(つね)に宵分(そうぶん)に達す」、いつも夜半に達してしまう。「公が」、あなたが「國を體する情深く」、あなたの国に対する思いは実に深い。「匪躬の義重きに非ずんば」。「匪躬」とは、一身の利害を思わず、ひたすら君主に尽くすということを言います。この重さということです。
「豈に能く示すに良圖を以てし、其の及ばざるを匡さんや」。あなたが非常に明確な、良い行いの仕方を示してくれている。これが良圖(りょうと)です。良圖を示してくれていることをもってしても、自分には及ばないところがたくさんあるので、そこを正そうと思う。太宗はそのように答えます。
●上司を見限るのは「先見の明」なのか
太宗は、もう一つのエピソードを言います。「朕聞く」。私(太宗)はこのように聞いている。「晉の武帝」、これは西晋の司馬炎のことです。司馬炎が呉という国を平定して以来、「務め驕奢(きょうしゃ)」になる。それまでは非常に優秀なトップであった司馬炎も、呉という念願の強敵を討ち負かしてからは、驕奢になった。驕慢、安逸のトップになってしまった。「復た心を治政に留(とど)めず」。彼は「もう政治はいい」などと言い出した。その側近中の側近、ナンバー2である「何會、朝より退き」。何會が朝廷から退いてきて、自分の実の子である劭にこう言った。
私(何會)が、「主上に見ゆる毎に」、王様に謁見するごとに、王様は「經國の遠圖(えんと)を論ぜず」。国家の将来を言うなんてことを全くしなくなってしまった。「但だ平生の常語を説く」。取るに足らない普通の会話で終わってしまっている。「此れ厥の子孫を貽す者に非ざるなり」。これは、子孫のことをよく考えようとしている人のなすべきことではない。「非ざるなり」。
「爾が身は猶ほ以て免る可し」。お...