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通商条約の難局を打開した井伊直弼

明治維新とは~新たな史観の試み(6)条約締結と井伊直弼

島田晴雄
公立大学法人首都大学東京 理事長
情報・テキスト
井伊直弼
朝廷の強固な攘夷思想によって難局を迎えていたアメリカとの通商条約締結を前に進めたのは、譜代大名によって担ぎ出された井伊直弼であったと、公立大学法人首都大学東京理事長の島田晴雄氏は指摘する。大老となった井伊は強引ともいえる方法で締結にこぎ着けたが、その代償は大きなものだった。(全17話中第6話)
時間:11:01
収録日:2018/07/18
追加日:2018/10/27
キーワード:
≪全文≫

●難局打開のために、井伊直弼が大老に任命される


 このような難局において、一橋派は慶喜のような優れた者を立てようとしますが、阿部正弘老中が亡くなってしまった中、決め手に欠いています。そこで溜間詰の譜代大名たちが態勢を立て直し、大老として譜代筆頭である井伊直弼を担ぎ出しました。大老という身分は正式ではなく、臨時の最高職で、いわば期間限定の独裁者です。このとき井伊直弼は彦根35万石の藩主だったのですが、この大老に任命されました。

 少しここで、幕閣の構造と組織、そして力関係を整理しておきましょう。大名の格付けは、江戸城では控え室で決められます。まず幕閣に参加している最上級の人たちは大廊下です。将軍が輩出される水戸、尾張、紀州の御三家や、御三家に近い徳川一門や前田家などの親藩がこれに当たります。

 次が大広間に控える人たちです。島津、伊達、細川、黒田、浅野、鍋島、毛利、池田、蜂須賀、山内、上杉などです。皆、戦国時代の名将で、力がありますが、外様です。外様はやはり大大名なので、大広間を控室にするわけです。

 その次に、溜間という部屋があります。ここを控え室とする、その筆頭が井伊です。井伊や酒井、榊原、本多という家康四天王がこれに当たります。彼らの一族は戦国時代に関ヶ原で大活躍をして、自分たちが幕府をつくったのだという自信があります。ただ、石高は非常に小さいものでした。

 その次に帝鑑の間があり、これは行政関係者がいる場所で、阿部はここに所属していました。阿部もここの出身です。主に譜代大名の控室でした。

 重要なのは、江戸政治は、これらのうち溜間と帝鑑の間の譜代大名が独占してきたということです。外様の排除は当然としても、なぜ親藩や御三家が排除されてきたのでしょうか。それは、もし将軍に何かがあれば、御三家は自分のところから将軍を出す可能性があることと関係しています。御三家には権力が転がり込んでくる可能性があるので、実は将軍家の潜在的なライバルなのです。ですから、将軍家は絶対に御三家や親藩には権力を渡しません。徳川吉宗将軍は紀伊で、徳川慶喜が水戸です。江戸時代に15代将軍の中で本家から出ておらず、御三家出身はこのたった2人です。やはり、本家ではないところから将軍が出る可能性があることを、本家はものすごく気にします。

 こうした構造の中で、先ほどのような阿部正弘による牽制や、その一枚上の井伊直弼がオールマイティーな役割になっていったわけです。


●勅許なしでの条約調印が行われた


 こうした力関係の中、通商条約調印は、タウンゼント・ハリスに約束した日から随分時間がかかり、延期に延期を重ねました。大半の大名も調印せざるを得ないのではないかと考える中、1858年6月にアロー戦争の結果としてイギリスと清国の間で天津条約が締結されましたが、ハリスはその直後に戦艦ポーハタン号で下田から横浜へ来航します。

 そこで先ほど言及した通り、ハリスはイギリスやフランスが日本に大艦隊を派遣したら、日本はアメリカとの条約よりはるかに過酷な条件を迫られるに違いないのだから早く調印するといい、と言うのですが、天皇がゴーサインを出さないため延期せざるを得ない状況です。このままでは「朝廷と交渉する」と言われかねない状況ですが、そうなってしまったらもう終わりです。そして、朝廷が拒否すると、おそらく戦争になるからです。そうなると、清国のようにボロボロにされてしまいます。そうなっては困ると井伊直弼は悩みますが、彼はもともと国学者の家庭教師につき、非常に天皇家を重視する立場の人です。そのため、天皇を無視できません。他方で、岩瀬忠震は育ちが良く、国益を考えたら調印しかないのではないかと言います。戦争になったら大変だということを念頭に、さまざまな議論がされました。

 結局、最後には切羽詰まって、孝明天皇の勅許なしで調印ということになり、安政5年(1858年)6月19日に、日米通商条約は勅許のないまま戦艦ポーハタン艦上で調印されました。アメリカ側はハリス、日本側は岩瀬と井上清直でした。その後、7月10日には日本とオランダ、7月11日には日本とロシア、7月20日には日本とイギリス、9月3日には日本とフランスということで、立て続けに条約が調印されました。これらは「安政の5条約」といいますが、1年間に一気に実現したのです。これにより、日本は通商国になりました。


●勅許なしの調印に反対する勢力も


 ところが、その数週間後、勅許なしの調印をしたことに対し、水戸の国父である徳川斉昭、水戸藩主の徳川慶篤、尾張藩主の徳川慶勝、越前藩主の松平春獄らが、無勅許調印は不敬であると江戸城に押し掛け、井伊を詰問します。しかし、それに対して井伊直弼も反撃し、この日は登城日ではなかったため、不時登城を理由として皆...
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