※以下、本文は講演資料に基づいた形になっております。動画と合わせてご利用ください。
●占領
ー占領、日本史で唯一の異民族による支配の経験、屈辱と悲惨な経験ーマッカーサー厚木飛行場、コーンパイプ、
“思えば、メルボルンから遠い道のり・・”
M。成績トップ、超エリート意識。WP校長。最年少参謀総長など歴任。
少将としてフィリピン軍顧問時代、アイゼンハウアー少佐を副官に)
Mを溺愛する母メアリーピンク(ピンキー)。
WP近くのホテルに陣取ってMを教育。
ーGHQ(SCAP)の設立、横浜→東京、日の丸小旗で迎え、従順な対応
・日比谷第一生命ビルに本部
・GHQ占領行政の中核、民政部、
Courtney Whitney:民政局長
ー間接統治の実態は?
・間接統治?議会立法も政府決定もすべてGHQ(民政局)の許可必要
・人権指令のショック
・東久邇宮内閣の山崎内相発言
9.29. Mと天皇の並んだ写真が新聞掲載。政府は畏れ多いと発禁処分。
山崎内相は外国人記者との会見で、治安維持法、特高の廃止を否定。
・これに対しGHQは直ちに反応。
10.4. 人権指令発出。人権指令を受けて政府は治安維持法はじめ15法律と関連法令の
廃止、特別高等警察の解体を命令。内務省、警察関係首脳、都道府県特高課全員
約5000名罷免、解雇。
政府には強い衝撃。人権指令が政府に事前連絡なしに公表されたこと。
間接統治下でも直接軍制的事態が起こりうる。
・東久邇宮内閣の総辞職
10.5. 東久邇宮内閣は山崎内相の罷免をMの内閣不信任案と捉え総辞職。
・幣原喜重郎内閣
・幣原喜重郎に組閣の大命 “最後のご奉公”
・幣原、練達の外交官、ワシントン軍縮会議などで活躍。
M “Can he speak English?” GHQの幣原への視線は冷ややか。
・ 1945.10.11午後、幣原首相、就任挨拶のためMを訪問。
・この時、Mは占領下日本に「五大改革」指令
・このうち婦人参政権は午前中の閣議で決定と伝えると、M「万事その調子で」満悦
ー言論統制
・占領軍はこれからはDemocracyとFreedom of Speechを保障すると喧伝して進駐。
・GHQは「自由の指令」と称して戦前の思想・言論規制法規の廃止命令。
しかし実態はプレスコード・ラジオコードなどで事前検閲を強化。占領軍批判はじめ
総合的な言論統制。
・江藤淳『閉ざされた言語空間』、占領軍がFreedom of Speechと喧伝しながら、実は
強力な言論統制で日本人の思想改造を進めた事実を...