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吉田茂、片山哲、芦田均―混迷を極めた占領下の政治状況

戦後復興~“奇跡”の真実(7)占領下の政治と財政

島田晴雄
慶應義塾大学名誉教授/テンミニッツTV副座長
概要・テキスト
吉田茂
占領下の政治と財政は混迷を極めた。GHQからの財政均衡圧力と、その結果もたらされたインフレによって刺激された労働運動の板挟みにあって、政権を長期に維持することは非常に難しかった。特にドッジ・ラインやシャウプ勧告は、財政の健全化に対して寄与したものの、国鉄三大事件と呼ばれる悲劇の引き金ともなり、社会は不安定化していた。(2019年7月23日開催島田塾会長講演「戦後復興:“奇跡”の真実」より、第7話)
時間:07:02
収録日:2019/07/23
追加日:2019/09/03
タグ:
≪全文≫

●占領下の政治

1946.5.第一次吉田政権成立
・吉田茂:高知出身。学習院大学科閉鎖で東京帝大政治科卒。外交官合格。20年間中国。本人は英米重視。日独伊三国協定反対。近衛和平上奏への協力が露見して憲兵隊に拘留。この投獄がGHQの信用につながった?
ー吉田政権:第一次(1946.5~1947.5)
・1946.12末新憲法施行に伴う新体制整備のための諸法を整備
ー第二次公職追放
・1947.1.4. 民政局から「民主化改革」の二の矢。第二次公職追放。
第一次は中央レベルの公職。第二次は府県レベルの公職。4月の地方選挙を控え。
・民主化という広い目的での追放。この結果、1948.5.までに、約20万人追放。
ー「2.1.ゼネスト」
・1947.1.1. 吉田が年頭所感で労働運動を非難「不逞の輩」呼ばわり。労働側反発。労組共同闘争委員会、1947. 2.1.午前零時、ゼネスト突入宣言。産別+総同盟も。
31日、Mによる中止命令。伊井弥四郎・・闘争委員会議長、同日夜、ラジオで「一歩退却、二歩前進」ゼネスト中止と伝えた。
・反吉田戦線の形成:GHQ民政局の社会党への傾斜。
ー片山政権(1947.5~1948.2)
・1947.4 総選挙。日本社会党が第一党。吉田は翌月1947.5.総辞職。衆議院の首班指名選挙ではで片山哲(社会党)420、吉田1。片山が内閣総理大臣指名を受けた。
・炭鉱国家管理問題などで与党内の反発招き、1948.2.崩壊。
ー芦田政権(1948.3~同年10)
・片山は芦田への政権移譲を主張したが、各方面から政権たらい回しの批判。GHQは吉田の自由党を反動的として、芦田内閣成立へ支援。1948. 2.21の首班選挙、芦田216、吉田180 僅差。芦田政権成立。
・全官公の3月攻勢直面。GHQの介入でなんとか乗り切ったが、政権基盤弱化。昭電疑獄で政権崩壊。
ー吉田政権(第二次:1948.10~第三次、第四次、第五次:1954.12)
 1954造船疑獄で佐藤栄作幹事長救済の指揮権発動。1954.12内閣総辞職


●占領下の経済運営(ドッジ・ラインとシャウプ勧告)

(1)ドッジ・ライン
ードッジ(新しい経済の帝王)来日
ジョセフ・ドッジ(デトロイト銀行頭取)占領下のドイツ通貨改革で辣腕買われ、「経済安定9原則」(極端なインフレの抑制)実施監視のため公使資格で来日。
ー1.一般会計と特別会計総予算の均衡、2.補助金の全廃、3. 新規貸出の全面禁止
・ドッジによる財政金融引き締め政策。ドッジ・ラインDL始まる。
ーDLでインフレは収束に向...
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