※以下、本文は講演資料に基づいた形になっております。動画と合わせてご利用ください。
●国際情勢の変化と対日占領政策の転換国際情勢の変化と対日占領政策の転換
1.冷戦への警鐘(1)チャーチルの警告「鉄のカーテン」
・1946.3. Winston Churchil(第61代英国首相)Harry Truman大統領の招き、ミズーリ州フルトン、Westminster大学で講演。
「バルト海のステッテイン(Stettin)からアドリア海のトリエステ(Trieste)まで 鉄のカーテンが降ろされた。中欧、東欧の歴史ある首都はすべてその向こう側だ」
・チャーチルにとってソ連のヨセフ・スターリンはWWII連合軍の盟友。
そのソ連が鉄のカーテンで守られた排外的な「共産圏」を構築したとの認識は早く、また共産主義の侵略的脅威について鋭敏な危機感を示す。
(2)国際情勢の変化:
・1946~47にかけて、西欧でも戦争による破壊、インフレ、食糧危機、経済停滞。
経済の苦境→ストライキ↑。フランス、イタリーでは反ファジズム闘争を担った共産党が力。アメリカ政府は、経済混乱→政治混乱を憂慮。
(3)トルーマン・ドクトリン
・1946. 3.12. トルーマンは、世界は全体主義と自由主義に分裂と認識。
世界の自由と諸国家の独立を守るには自由主義国家の諸国民を援助することが肝要。このトルーマン・ドクトリンは米ソの対立が決定的になったことを示す。
(4)マーシャル・プラン
・1947.6、マーシャルプラン発表(政策企画室のGeorge Kenanが立案)。トルーマン・ドクトリン推進のための支援
2.占領政策の見直しへ
(1)対日占領政策見直しの機運
・アメリカでは1947初頭から対日占領政策の見直しの機運。
・転機は1946.12中間選挙。共和党と南部民主党勢力がNew Dealerを破り実業界出身者↑。ワシントンではGHQが依然としてND的政策をとっているとして批判↑。保守的空気↑。
ードレーパー陸軍次官(金融界出身)のGHQ批判
・1946.10.3.ド氏は経済復興を対日占領政策の中心に据えた報告書「日本の経済復興政策」(SWNCC384)を提出。GHQが固執する財閥解体や経済力集中排除法を批判。
○戦争直後の米国の対日政策の基本は日本の無力化。
米国の国際戦略:凶暴で危険な日本から世界をどう守るか、だった?
ドレーパー次官は、Mに法案採択延期を要請。
・Mはそれは共産主義者を利するだけと反発。MはドレーパーらがNews Week のGHQ 批判派と組んでMの大...