※以下、本文は講演資料に基づいた形になっております。動画と合わせてご利用ください。
●戦後復興の奇跡はいかに起きたか?
1.初期条件
(1)敗戦・占領の破壊と悲惨
(2)占領政策
(3)残存・継承された人材と技術
ー人材:産業界、官界、政界。
「現短期(短期現役)」軍が養成した産業+行政人材:優秀人材3000人の集積
ー技術:世界有数の軍事力を支えた工業基盤
ー品質管理向上:Deming博士、Juran博士の貢献大
・W.Edwards Deming博士:イェール大物理、数学博士。農務省で国勢調査。GHQで1951国勢調査立案に関与。生産管理の権威、ベル研のシューハート博士の影響を受け、日本科学技術連盟から招かれて生産管理の統計的手法を1950.6~8. 日本の経営者、技術者に講演。講演料を日科技連(JUSE)に寄付。デミング賞の基金に。
・Josef M Juran博士: 1924ミネソタ大で電気工学博士。1924 Western Electric社の検査部門技師。ベル研のシューハート博士の影響。穏やかで実直な性格。1954年JUSEの招きで来日。日本製造業の品質管理向上に貢献。
ーその後、日本の製造業は、QCから独自のQCCに発展して、品質を飛躍的に高めたことは周知。
2.環境条件
ー奇跡の復興の重要条件の一つは環境条件の大きな変化(1)国際情勢(2)対日戦略の変換(3)朝鮮戦争ー日本経済成長のモメンタム
3.主体条件
ーいま一つ、そしておそらくもっと重要な条件は、主体条件。
・新たな企業群を率いた起業家が深刻な困難を乗り越えて、事業を復興させ、その後のグローバル企業への輝かしい発展につなげた、その原動力は何だったのか?
(1)新しい起業家(企業家)
ー意欲と努力
ー政商=財閥(薩長の政略と特権で国家産業に)でない。(薩摩→三菱、長州→三井)
ーベンチャー企業
ー戦争の破壊と戦後の悲惨を克服ーGlobal企業に飛躍、発展
(2)事例研究
ー松下幸之助と松下電器産業
ー豊田喜一郎とトヨタ自動車
ー井深大、盛田昭夫とSONY
ー本田祐一郎、藤沢武夫とホンダ
●産業界の経験から学ぶこと
1.松下幸之助と松下電器産業
(1)生まれと成長期
ー不幸な成長期、家族が死亡
・幸之助は1894.11.27 和歌山県和佐村(和歌山市外れ)に生まれ。10人家族。
・自転車屋の丁稚奉公からはじめて、仕事を転々と6年
○電気の可能性に魅せられる(幸之助)
・電気の可能性に魅力。大阪電灯営業所に就職。屋内配線職。
・検査員のとき、ソケット考案提案。上司無視。体調不調。初期結核。会社退職。自分で製造して買わせよう、と思うとファイト。体調回復。人生この繰り返し。
(2)松下流事業の発展
ーソケットから高性能ランプへ
・ソケット製造事業開始。むめの、弟と2人。
・1918 2灯用差し込みプラグ開発。売れ行き好調。
・品質良く、安価。スピード開発、松下流事業の原型
・1924 M工場は月産1万個
・1927 高性能ランプ開発
○市場ニーズを捉えて成長
・1928 毎月10万個乾電池、3万個のランプ。
(3)松下経営の深化
・1929アメリカ株大暴落に続く大不況。
○大不況下の人材経営
幹部はこの難局を乗り切るには大量解雇しかないと結論。
生産を半減。解雇は不可。労働時間を半日にする。賃金は不変。休日はなし。全員で在庫を売る。無解雇、雇用維持は戦後のこと。
当時、工場労働者を配置換えで雇用維持は前代未聞。
ーラジオの最大メーカーに
・1925、日本で最初のラジオ放送開始
販売店からMにラジオそのものを製造すべきとの要望。M社内には慎重論。Kは強気。
1930.8. M第1号ラジオ発売。
1931年1000台→1938年 237000台。
高価格(高品質:製造にコスト)だが人気が高く売れた。生産急増。参入後10年(1942)、Mのラジオ市場シェア30%、月産3万台。
日本最大のラジオメーカーに。
低価格で量産:M方式定着
ー天理教との出会い
・1932 顧客の一人が面会求める。改宗の勧誘。当初興味なかったが教団訪問に。1932.3早朝、奈良県天理市天理教本部訪問。教団の設備の見事さに圧倒。
報酬もないのに嬉々として働く人々の光景。献身的な働きぶりが大組織でも。
Kは感銘。企業もまた宗教のような意義のある組織になれば、人々はもっと満たされ、もっと働くのでは。人生にもっと大きな意味を求める考え↑。
○M:水道哲学:1932:
・1932.5.5. 大阪の中央電気倶楽部講堂。役員社員前にKが講話ー提言「真使命宣言」
産業人の使命は貧困の克服。社会全体を貧困から救って富をもたらすこと。例として水道。あらゆる製品を水道の水のように無尽蔵に安く生産すること。これが実現すれば地上から貧困は撲滅。実現には年月。しかし、今日からこれを我々の理想、目標。
・毎朝、従業員に理想を大声で朗唱。
1933.7.31.「松下電器の遵奉すべき精神」として従業員に伝え、全社一丸となって邁進を
Kが弁舌巧みという人はいない。模範と...