●定住生活と比較した際の移動生活のメリット
縄文時代の大きな特色は、定住生活が始まったという点です。定住生活が始まったことで、縄文人のみならず、人類の生活様式、暮らしぶりが大きく様変わりすることになりました。
われわれは、基本的にはずっと定住生活をしています。ですから、よく原初的・伝統的な社会において、狩猟採集人たちが移動生活をしていたと聞くと、どうしても現代的な視点からそのような生活を「遅れた」というフィルターをかけて捉えてしまいがちです。しかし、視点を変えると、実は移動することで、人々は大きな社会的問題を解決してきたのです。
例えば、食べ物について考えてみましょう。われわれ現代人は、定住生活をとても強固に続けています。この生活の中で、われわれ自身が食べ物を生産することは、多くありません。基本的にお金を払って第三者から食べ物を買うという形で、われわれは暮らしています。そうすると、例えば災害があると、食料の供給が断たれてしまうということがあります。
対して、移動生活をしている人たちは、自ら食べ物のある場所に動いていけます。これは非常に大きい利点です。災害の場合にも、雨が多く降り続いて洪水や崖崩れなどの自然災害が起きそうだと思えば、移動生活をしている人たちは、そこから簡単に逃げることができます。しかし、われわれは強固な定住生活を送っているので、簡単に移動するということができなくなっています。
さらに、定住生活には、ゴミ問題と排泄物の問題があります。縄文時代の人々は貝塚にゴミを捨てます。おそらくトイレも、どこか一所に決めていたと考えられます。
対して、プラスチックや鉄などがあればまた別の話ですが、そうでなければ、移動生活をしている人たちは、基本的に身の回りのものを自然の素材を使って作っています。すると、それらはどこに捨てても大きな問題はありません。つまり、衛生面や生活面において、ゴミや排泄物の処理で悩む必要はないということです。
また、集団で生活していて人が亡くなった場合にも、大きな違いがあります。われわれは、手間暇をかけて葬式を行い、墓に入れて、弔いをします。対して、移動生活をしている人たちも墓を作って埋めますが、そこにもう一度戻ってきて、継続的に供養することはほとんどありません。仮に自分たちにとって災いがあって、縁起の悪い場所なら、彼らはそこを避けることができるのです。
さらに問題になるのは、集団内でけんか、衝突が起こった場合です。食べ物や人間関係をめぐって衝突が起こった場合、移動生活をしていれば、集団を分離したり、集団から遠くに逃れたりすることで解決できます。われわれも少し距離を置いて頭を冷やそうとすることがありますが、そうしたことが簡単にできるのです。
このように考えると、実は移動生活にはかなりメリットがあるといえないこともないのです。逆に、定住生活の場合には、今指摘した問題を全て村の中、あるいは自分たちの集団の中で解決しなければなりません。これは、実は大きな問題なのです。
●気候の変化とともに定住生活が可能な食糧が取れるようになった
そのために縄文時代の人たちがどういうことを行ってきたのでしょうか。例えば、一カ所で定住生活をするためには、さまざまな前提条件があります。
その前提条件の一つは、気候の温暖化です。これまで(氷河期)には針葉樹を中心とした植生でした。針葉樹林からは、木の実などの食糧はあまり取れません。
気候の温暖化に伴って、植生が徐々に変化し、ナラやブナなどを中心とした、落葉広葉樹林が広がるようになります。それとともに、ドングリやクリ、トチの実などの、食べられる木の実が多く取れるようになります。
さらには海水面が上がり、現代のような海岸が出現します。その結果、岩礁帯では、サザエやアワビなどの貝を拾うことができるようになります。砂浜などでは、網などを使って魚を取ることもできるようになります。あるいは、外洋に面している場所では、道具立てをして、マグロやカツオなどの大きな魚も取ることができるようになってきます。
つまり、旧石器時代よりも暖かくなってきた縄文時代の方が、人々の周りにより多くの食料資源が存在するのです。縄文人は温暖化していく中で、新たに生まれた食料資源を目ざとく発見していきました。
さらに、ここに土器が加わります。土器の一番の特徴は、鍋として用いて煮ることができるということです。これは非常に大きいことです。例えば、頬の肉やすじ肉は、焼いても固くて食べられません。しかし、時間をかけて煮込むことで、これまで食べられなかった部位が食べられるようになったのです。
これは、植物にも当てはまりま...