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「無責任の体系」を生むのはイマジネーションを欠いた社会

哲学から考える日本の課題~正しさとは何か(9)質疑応答編2:無責任の構造

概要・テキスト
日本では最近、不祥事が起きても、以前に比べて責任を取らず開き直ったり、居座ったりするケースが多く見受けられる。こうした問題は今に始まったことではなく、「無責任の体系」「悪の陳腐さ」として歴史的に論じられてきた。日本における無責任の構造をつくり変えていくためにはイマジネーションが重要で、発想の転換が求められている。(2019年10月26日開催・テンミニッツTV講演会「西洋哲学と東洋哲学から考える日本の課題」より全11話中第9話)
※司会者:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:11:45
収録日:2019/10/26
追加日:2020/04/05
キーワード:
≪全文≫

●「以前に比べて最近は」の内容は、客観的に妥当か検証の余地がある


―― それでは次の質問にいきます。まさに「正しさ」に関連する質問です。

「最近、政界や大企業における不祥事が多発しております。不祥事が起きても、以前に比べて責任を取らず開き直り、居座るケースが多く見られます。何が欠落しているのでしょうか」

 という質問ですが、いかがでしょうか?

納富 昔から比べて今が悪いのか、私はまだ判断できません。最近については、全てにおいて私は判断を留保しています。例えば、「最近、犯罪がひどくなっている」といいますが、統計的に見ると、昔のほうが重大犯罪は圧倒的に多かったとか。また、今は交通事故も減っているので、例えばあおり運転は昔のほうがもっと大変だっただろうと思います。そういった意味で、「以前に比べて最近は」というのは、私も含め年齢の高い人に多い言い方で、私も時々そうした言い方をしてしまいますが、客観的に妥当かという点については検証の余地があると思います。


●問題が形式的にのみ処理される傾向にある


納富 こうした部分から自覚的に考えていかないと、ステレオタイプに足元をすくわれます。とはいえ、昔と比べてどうかは別にして、最近こうしたことが起こると、あまり責任を取っていないというのは事実だと思います。これについて考えてみると、やはり1つのポイントは、前回までの話のように正義や不正というのは行為についてであり、罰せられるとか、そうした法律上の話は単独的な感じがするということです。それを人のあり方、あるいは自分のあり方として捉える場合、人に言われたから責任を取るのではなく、自分の判断として申し訳なかったと思う「恥」のような情感が問題だと思います。それは、人のあり方の問題であるはずです。

 それを感じないがゆえに、形式的な謝罪で終わりにして、ないことにするということが行われているのでしょう。これは、先ほどの問題と、まさに連動しているような感じがします。つまり、「正しさ」ということが基本的に形式的な問題として捉えられており、自分のあり方の問題としては全然理解されていないということです。


●丸山眞男が乗り越えようとした「無責任の体系」


中島 丸山眞男という人が、第二次世界大戦後に、日本はなぜあんなことになってしまったのかということを考えました。そこで出てきたのが、...
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