●「還暦後は余生だ」といった捉え方は間違っている
―― 「余生」と言うと怒られてしまいますが、「還暦後を輝かせる」ということで、出口先生が著著『還暦からの底力』の中で「清水の舞台」のお話を大変印象深くお書きになっていらっしゃいます。
「『還暦後は余生だ』といった捉え方も間違っています。マラソンでいえばまだ半分しか走っていない」「むしろ折り返してからのほうが、冒険やチャレンジはしやすいのです」と述べられていて、その例として挙げられたのが「清水の舞台から飛び降りる」ということです。
出口 はい。
―― 「清水寺の舞台の高さが約12メートルとわかれば、12メートルのロープを用意すれば降りられるでしょう。リスクの内容(12メートル)がわかれば、それはコスト(12メートルのロープ代)として計算できます。要するに、飛び降りる怖さは12メートルのロープ代に転化できるのです。」
「人生を半分走ってきた60歳はその分、世の中のことがわかっていますから、仕事も生活もおそらく恋もきっと上手にできると思います」。このように、非常に勇気づけられる言葉を、先生はお書きになっておられます。
出口 わかればリスクがコストになるのですよ。
―― それが面白いですね。「リスクをコストにできる」ということですね。
出口 人間は、分からないことが一番怖いのです。新型コロナウイルスが怖いのは、正体がまだ十分分からなくて、ワクチンや薬がないからです。ワクチンも薬もない病気に、かかったらどうなるのだろう、と思うから怖いんですよね。でも、インフルエンザはそれほど怖くないでしょう。ワクチンも薬もあるからです。
だから、人間にとって一番怖いのは、分からないことです。そして、若いときは分からないことが多い。でも、マラソンも半分走ったら、あとは折り返して同じ風景を走っていくわけです。いろいろなことが分かってきているから、チャレンジしやすいのです。
●団塊世代を生かす「年齢フリー」の社会へ
出口 昔の日本は製造業中心の世界でした。製造業は、基本、工場で働くので力や体力がいるイメージです。でも、今はサービス産業中心で、アイディア勝負の時代でしょう。ということは、体力のハンディがなくなっているのです。しかも、60歳はいろいろな経験を積んで賢くなっている。人間の脳は加齢とともに衰えていきますが、いろいろな経験による判断を司る大脳の基底下部というところは進歩します。だから、経験を積んだら、判断が確かになっていく。今のビジネスはアイディア勝負ですから、体力を使わなくても済む。
しかも、日本は団塊世代が年平均200万人以上いて、あと2、3年で75歳に到達します。日本老年医学会や日本老年学会によれば、75歳ぐらいが体力的に第一線から退く時期だといっているのですが、一方で新社会人は約100万人ちょっとです。この国は、構造的にものすごい労働力不足に陥るわけですから、高齢者が働いても若者の邪魔をしないというわけです。
―― 確かに。もう社会的にも労働力が足りなくなってしまっているということですね。
出口 はい。今でも60歳以上になると、履歴書の年齢欄を見てはねられるという人が大勢いますが、それははねるほうが間違っています。グーグルのように履歴書から年齢を取り払うべきです。年齢の表記は必要ないでしょう?
―― おっしゃる通りです。その人がどういう経験をされてきて、わが社に何をしてくれる能力があるのかというところが大事になる、と。
出口 はい。体力が心配だったら、医者の診断書をもらえばそれでいいわけです。お医者様が「働けます」といえば、それで十分ではないですか。企業はだいたい毎年健康診断をやっていますしね。だから、これからは「年齢フリー」の社会にしていかなければ、楽しい人生は送れないと思います。
●過去の実績にあぐらをかかない「松坂選手の価値観」
―― 一つあり得るのが、例えば60歳になったときに同じ会社にいるのかどうか。それも選択肢の一つだと思うのですが、そのあたりはどうでしょうか。
出口 それは個人が選べば、どちらでもいいのではないですか。その会社が大好きで、ずっと働きたかったら働いてもいいし、チャレンジしようと思えば違う会社を探してもいい。社会がそれを制度的に決めること自身が、根本から間違っていると思います。
―― そこはもう、それぞれの方々の価値観によって決めていけばいいということですね。もう一つ、私の非常に印象深かったメッセージが、「野球選手の松坂大輔さん的な価値観」ということを、先生がお書きになっています。
出口 これは、誰でもそうですが、仕事をするということは、今の体力、意欲、能力に応じて働くわけですね。松坂大輔は、大リーグから帰ってきて、西武から中日ドラゴンズに入るときに、...