●鎖国の中でモノを考える基礎をつくった江戸時代
長谷川 日本の政策を決めたりするときにも専門家が意見を述べますが、「どうしてそういう分析になったのか」ということはあまり問題にしないままなのか。有職者会議や専門家集団といったものが非常にたくさんあるにもかかわらず、それらは言っていることの「本質」をちゃんと説明してくれないような気がします。
小宮山 そうですね。あと私が思うのは、本当に社会を変えられると思っていないのではないかという気がします。例えば、グレタ・トゥーンベリさんですが、彼女はある種の天才と言っていいのではないかと思います。やはり変わると信じている。だって、確かに一人の力は小さいけれども、人類全体として未来を、例えば2050年に何度になるのか決めるのはやはり人間です。そうしたら、少し変わってくるのではないか。
そこで、私が思ったのはソビエトが崩壊した時のことで、あの頃に地球温暖化の問題が政治的に出てきました。本当かどうかは分からないけれども、ミッテランとサッチャーの2人が、「ソ連がなくなると敵がいなくなる」というので、まとまるための求心力を求めて温暖化問題を政治的イシューにしたのだと言う人がいます。
長谷川 次は環境問題だというふうにね。
小宮山 これは本当かもしれない。あの時、おそらく日本の政治家は「ソ連が駄目になって、これからどうなるのだろう」としか考えなかったと思う。「どうしよう。どうしていこうか」という思いには至っていないと思います。ここが、意外と日本の弱点というか。
明治維新のあと、「坂の上の雲」の時代があって素晴らしく前進した。戦後についての目的はもう明白で、だから奇跡の成長を遂げました。どちらも「なにをするか」の目的があった。だから、(日本は)力はあるけれども、自分でモデルを作っていない。
長谷川 そうですね。
明治維新の頃にどうやって日本が近代科学を取り入れたかということに関しては、JICA(国際協力機構)が留学生向けのコンテンツ(編注:シリーズ番組『日本の近代化を知る』)をつくった際に、だいぶ調べました。
明治維新より前の幕末の頃から、鎖国しているにもかかわらず西洋のものをずいぶん多量に取り入れています。日本のさまざまな地方(藩)で「これは大変なことだ」と思った人がたくさんいたわけです。例えば、細々と入ってくる蘭学の本などを翻訳して、「これは取り入れなければならない」「相手に勝つため、のんべんだらりと植民地化されないようにするために、どうしなければいけないのか」と本気で考えた人たちが一人や二人ではなく、かなりの層になるほどいました。それほど江戸時代に基礎があったわけです。
ということで、江戸時代は結構停滞していて、発展性のない社会のようなところもありますが、一人ひとりがモノを考える基礎をつくった頃であるようですね。
小宮山 そうです。例えば、平均寿命はだいたい豊かさの指標になりますが、江戸時代の平均寿命は割と長い。また、モノも考えたし、学問もしました。寺子屋があり、それぞれの藩校があるというように、そういったシステムもありました。だから、別にゲノムで決まっているとは思わない。
長谷川 思わないですね。
小宮山 そう、ゲノムで決まっているとは思わない。アメリカやヨーロッパに行った日本人が(アメリカが多いですが)活躍している例は多いですからね。
長谷川 江戸時代に船が難破して、東南アジアに漂流した人が結構いて、その人たちが帰ってから見聞録を書いたりしたそうです。そういう一介の、船に乗って出ていくような人たちが、読み書きができ、見てきたことをいろいろ書いて、考える人たちだったということを聞いて、ケンブリッジ大学の日本学の先生が感激していました。
●実行するためのパッションの欠如と「大きすぎる」問題
小宮山 だから、やはり人間であり、人間の養成なのですよ。これからの教養は「ヘタレ文学」ではなく、モノを考えて動けるような人たちがたくさん出るようにしていかないといけないでしょう。
長谷川 本当に考えて決断ができる人。決断をするためにはもちろん理解をして、考えなければいけないけれども、決断というのはやはりやりたいことがあるからの決断です。その決断をしないで、ただ「ああでもない、こうでもない」、あるいは「ああだよね」と言っているだけでは駄目です。
教養を元にして判断をし、決断して、「では、こうしよう」ということをする。そのためには、とても強いパッションが必要だと思っています。なんとなく今の世の中では、若い人がそれを持ちにくくなっているのではないかという気がするのです。
小宮山 一つは、大きすぎるのでしょう。氷河の一滴ではないけれども、無力感を感じる。今のインターネ...