≪全文≫
改めて振り返ると、二・二六事件の頃になると、日本はもう後戻りできないところまで進んでしまったといわざるをえない。
三月事件、十月事件、五・一五事件、そして二・二六事件までの軍部の人間模様や権力争い、派閥抗争は非常にわかりにくいが、こと陸軍の場合、突き詰めていってしまえば、陸軍大臣、参謀総長、教育総監の陸軍三長官のポスト争いだったと喝破できるかもしれない。皇道派はその争いに敗れ、最後に残った教育総監のポストを、真崎大将が必死に守り抜こうとした。荒木大将は青年将校に口先だけの将軍だと批判されて失脚したが、真崎大将だけは青年将校に見限られないほどの過激な姿勢を取り続けていた。
歴史の本ではあまり触れられないことだが、やはり上原勇作元帥と真崎甚三郎大将という二人の頑固者がいなければ二・二六事件は絶対に起こらなかったというべきであろう。そこに荒木貞夫を加えてもいい。そして二・二六事件がなければ、日本は対米戦争も避けることができたはずである。
ところが、その二・二六事件後に開かれた軍法会議で、事件の火元であると万人が認めていた真崎大将は、共謀の容疑で取り調べを受けたものの、証拠不十分として罰せられなかった。ある種の個人の行動や性格が、歴史を動かす大きな影響力を持っていることを痛感せずにはいられない。
だからこそ軍隊組織を統率する人は、民主主義の手続きに徹して選ばれるべきであると私は思う。実際、軍隊によるクーデターは、アングロサクソンの国ではなかなか起こらない。やはり民主主義のルールにしたがった選挙で、皆に選ばれた人が統率しているから、「財閥富を誇れども」とはなかなか歌えないのだろう。
現代においても、民主主義のルールに則らない独裁政権は、きわめて臆病である。かの毛沢東が起こした文化大革命という名の権力闘争も、その臆病さに起因するものであったろう。いまの主席の習近平も「大中華帝国」などと大きなことをいっているが、結局のところ、臆病で総選挙すらできないではないか。
その意味で、民主主義に欠点はいくらでもあるかもしれないが、軍隊の蜂起が起きにくい制度であるということが、一つの大きな長所だといえるだろう。
一方、「もし永田鉄山が生きていたら」という仮説は興味深い。永田少将が暗殺されなかったら、日本は太平洋でアメリカと戦争することはなかっただろう...
すでにご登録済みの方はこちら
概要・テキスト
ある種の個人の行動や性格が、歴史を動かす大きな影響力を持っていることを痛感せずにはいられない。だからこそ軍隊組織を統率する人は、民主主義の手続きに徹して選ばれるべきである。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第四章・第8回。
会員登録すると資料をご覧いただくことができます。