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DATE/ 2017.12.01

「親の経済力」で人生は決まってしまうのか?

 親の所得と子どもの学力の関係。身も蓋もない言い方をすると、「家庭の経済格差が、子どもの学力格差につながり、大人になってからの経済状態にも重要な影響を及ぼしている」ということが世界的な問題提起とされています。

 日本では、「親の収入や学歴が高いほど子どもの習い事参加率が高く、学校外での学習時間が長くなる。つまり教育熱心な親を持った子どもほど、進学校への進学率が高くなる」という文脈で語られることがほとんど。しかし、進学校へ進むかどうかは大人になってからの経済状態や、まして人生の幸福感の決め手であり続けているでしょうか。それほど単純に割り切りたくない人のため、少し掘り下げて調べてみました。

高校の問題は幼稚園で解決できる?

 作家の佐藤優氏によると、「就学前教育によって子どもが将来、富裕層になる可能性が高まる」と議論をする日本人が種本としているのは、『幼児教育の経済学』。著者は2000年にノーベル経済学賞を受賞した米国・シカゴ大学の経済学者ジェームズ・J.ヘックマン教授です。

 ヘックマン教授が着目したのは、高校退学率でした。世間一般の意見は「学校改革が必要」「学費の上昇が高校を中退する要因になっている」というものが大半。彼がそれらに反して、「もっと幼いころの環境が大事」という立場をとるようになったのは、複数の社会的実験が根拠となっています。

 行われたのは、ペリー就学前プロジェクト(1962-2004)とアベセダリアンプロジェクト(1972-2012)。いずれも、恵まれない子どもたちの幼少期の環境に介入して改善することで起きる変化について、子どもが成人するまで追跡調査した研究事例です。

 増大するひとり親家庭など、恵まれない家庭への訪問を続け、子どもに本を読み聞かせたり、親に学校教育の大切さをすりこんでいく。とても地道な努力ですが、共通した結果として、彼らの訪問を受けた子どもは、受けなかった子どもよりも学力検査の成績が良く、特別支援教育の対象が少なく、学歴が高くなったのです。さらに成人してからは収入が多く、持ち家率が高く、生活保護受給率や逮捕者率が低いという違いも明らかになりました。

 彼の結論は「幼少期の介入は経済的効率性を促進し、生涯にわたる不平等を低減する」と明快。個人的には、幼い頃から成功体験を重ねていく雪だるま式の効果が認められ、社会的には、この時期を見過ごして思春期に入ってしまうと、社会政策上の公平性と効率性のバランスをとることが難しくなるからです。

テレビより読書、金よりも、愛情と子育ての力

 では、ヘックマン教授が大切にする「幼いころの環境」とはどんなものでしょうか。

 「広範囲な調査研究によれば、大卒の母親は低学歴な母親よりも育児に多くの時間を割き、とくに情操教育に熱心だ。彼女たちはわが子への読み聞かせにより多くの時間をかけ、一緒にテレビを観る時間はより少ない」

 テレビより読書、知能教育より情操教育に母親自身が心を砕くことに、彼は注目しています。それが「就学前教育」の正体です。幼児のための進学塾ではありません。これに対して社会が援助できるのは「幼少期に投資を集中し、その後の投資でフォローアップする」ことですが、見落としたくないのは、それが決して「富裕層予備軍を育成せよ」と主張しているのではないこと。「貧困家庭に金を配ることが恵まれない子どもの環境の質を向上させることにはならない」と彼は何度も強調しています。

 ノーベル経済学受賞者の目指したところは、「(優秀さや人生の質を決めるのは)遺伝なのか、環境なのか」という問題に対して、「遺伝よりも環境。だから諦める必要はない。ただし環境整備は早めが肝心」というシンプルな答え。それに対して、社会全体が快く協力する態勢だったのです。日本では政府主導で高校教育の無償化が進められようとしていますが、「金よりも、愛情と子育ての力」であることにアメリカ社会は気づき、動きはじめています。

 ちなみに佐藤優氏の試算によると、日本で保育園・幼稚園を義務教育化し、親の経済力に関係なく「知育・徳育・体育」のバランスが取れた教育が無償で受けられるような制度には2兆円の経費が必要。この金額は「消費税を1%上げれば確保できる」とのことです。

<参考文献・参考サイト>
・『幼児教育の経済学』(ジェームズ・J・ヘックマン著、大竹文雄解説、古草秀子訳、東洋経済新報社)
・現代ビジネス:ノーベル経済学者が認めた「やっぱり人生は実家の収入で決まる」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50755
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