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DATE/ 2018.01.25

福沢諭吉と対比される中国の思想家・胡適とは?

 明治維新後、日本人の意識を一新させたのは福沢諭吉による『学問のすすめ』。1872(明治5)年から1876(明治9)年にかけて出版されたシリーズは合計300万部以上売れ、国民の10人に1人が買った勘定になるといいます。

 そこに書かれていたのは、儒教思想に縛られていた前近代から脱出して、広い世界に目を向けようということ。西洋では日本人の知らない価値観が主流をなし、それによる主義思想が展開されているということでした。一言でいえば「啓蒙」。西洋と東アジアが遭遇したときの啓蒙家として、日本の福沢諭吉に対比されるのが、中国の胡適 (こてき)です。二人の共通性と違いについて、東京大学東洋文化研究所副所長の中島隆博氏が紹介しています。

激震の時代の後の国民精神形成のために

 福沢諭吉が生涯を捧げたのは、明治維新後の廃藩置県で初めて生まれた「日本人」の国民精神を形成することでした。そして胡適もまた辛亥革命後の中国において、新しい中国人精神を模索するため、白話(口語体)運動などに取り組み、北京大学で教鞭をとって、「五・四運動」のオピニオンリーダーとなりました。

 それぞれ時代は異なるものの、長く封建思想に押さえつけられてきた母国に最も必要なのは、西洋が宗教戦争や革命を機に築き上げてきた「啓蒙思想」による「理性」だと二人は考えました。しかし、長らくキリスト教を背景としてきたヨーロッパの思想では、内面を持つ個人の「内面のあり方」が非常に尊重されます。

 「キリスト教に相当するような蓄積が東アジアにはない」ということに二人は気づき、ともに「軽い啓蒙」(ライトなエンライトメント)へと向かっていきます。

「神のいない」東アジアを啓蒙したプラグマティズム

 胡適は辛亥革命の起こる前年から8年間アメリカに留学し、最初は農業、次にジョン・デューイのプラグマティズムを学んでいます。1910年代にあって最も進歩的で民衆に近いとされた彼の思想は、ヘーゲルの影響を受けながらも、より人間的な経験と反省の世界に引き戻すもの。ドイツ観念論が神に向かったのに対し、「神なしでも、この世界は語ることができる」とするものでした。

 もともと「神のいない」中国にとって、この思想はとても好都合でした。胡適は恩師デューイを中国に招聘し、デューイも五・四運動真っ只中の中国を気に入り、2年間の滞在でプラグマティズムを講義します。

 福沢諭吉がプラグマティズムに接近した形跡はありませんが、彼の持つ哲学がある種「プラグマティック」であることは、丸山眞男にも指摘されています。二人が目指した軽い啓蒙と「人間が行為して、なしたもの」という原意を持つプラグマティズムは、非常に密接だと中島氏は解説します。

「偶然性と変化の連続」の思想家と実践者

 デューイのプラグマティズムは、ダーウィンの「進化論」に深く影響されたものでした。進化論といえば「適者生存」の法則から、「人間が進化や進歩の頂点にいる」ことの証明と受け取っている人も多いのですが、これは全くの誤解で、進化と進歩の混同でもあります。

 実際にダーウィンが述べたのは「物事が変化して別の形をとるのに、決まった目的はない」ということでした。言い換えれば「目的のない変化」ですから、強い因果律の設定は必要ない、とデューイは受け取りました。それゆえ彼の思想は「この世界は偶然性に開かれていて、さまざまな変化の可能性がある」「特に人間の行為や行動は、そうした変化にふさわしい」と発展していきます。

 胡適はその後、第一次世界大戦の徹底的な破壊を目の当たりにして、西洋の科学技術文明に限界を感じます。そして、キリスト教に代わる精神的支柱として、封建思想の象徴であった儒教を見直すようになるのです。アメリカ留学、辛亥革命、日中戦争、国共内戦、アメリカ亡命と席の温まる暇のなかった思想家、胡適。その生涯は偶然性と変化の連続でした。
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