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在職日数で見る「歴代内閣」
2020(令和2)年9月に成立した菅義偉内閣は、1885(明治18)年の初代伊藤内閣から数えて第99代、菅首相は63人目の総理大臣にあたります。では歴代内閣で最も長命あるいは短命だったのは、どんな時代のどんな内閣だったのでしょうか。
では、長期政権のベスト3です。
第3位は、在職日数2798日の佐藤栄作元首相。1901(明治34)年山口県生まれで、第56・57代内閣総理大臣を務めた岸信介は実兄。東京帝大法学部を卒業、鉄道省の官僚として運輸次官まで務めるエリートでした。吉田茂の知遇を受けたのをきっかけに1948(昭和23)年に退官して自由党に入り、第2次吉田茂内閣の官房長官に就任。東大法学部→官僚→政治家路線の先駆けと言えるでしょう。
第61代内閣総理大臣に就任したのは1964(昭和39)年11月9日。東京五輪直後の就任当時は「20世紀生まれの初の宰相」として話題になりました。1972(昭和47)年7月7日まで途切れることのなかった連続在任期間は歴代2位、自由民主党史上唯一4選された総裁としても知られます。日韓基本条約批准、非核三原則提唱、沖縄返還をなし遂げた功績の一方、「黒い霧」事件などのスキャンダルにも悩まされました。退任後の1974(昭和49)年に、非核三原則制定などが評価され、ノーベル平和賞を受賞した唯一の日本人です。
第2位は、在職日数2886日の桂太郎元首相。1848(弘化4)年に現在の山口県萩市に生まれた長州藩士で、戊辰戦争にも参加しました。政治家になってからは「巨頭」などのあだ名で呼ばれましたが、藩士時代のものとして残っている写真はかなりの美青年です。明治に入るとドイツへ3年間留学した後、陸軍に奉職。日清戦争にも出征し、台湾総督を経て陸軍大臣に就任します。この頃、拓殖大学の前身となる台湾協会学校を設立し、初代校長も務めています。
元老会議の推薦を受けて明治天皇から組閣を命じられたのは、1901(明治34)年6月。第11代内閣総理大臣として小村壽太郎を外相に起用、日英同盟締結(1902)を進めました。この結果が有利に働いて日露戦争(1904-05)に勝利、比較的安定した時代として西園寺公望と交代で首相を務め、「桂園時代」を築きます。大逆事件と韓国併合(1910)など日本史上の大事件を経て、1911(明治44)年2月には不平等条約改正を達成しています。
第1位は、在職日数3188日の安倍晋三元首相。1954(昭和29)年東京都生まれですが、本籍地は山口県の現・長門市。母方の祖父に岸信介元首相、大叔父に佐藤栄作元首相がいる政治家一族に育ち、父晋太郎も外務大臣・内閣官房長官を歴任しました。
第1次安倍内閣の組閣は2006(平成18)年9月20日、戦後最年少、戦後生まれとして初の内閣総理大臣に指名され。「美しい国」を唱えました。翌年9月に体調悪化のため辞任しますが、2012(平成24)年12月には第2次安倍内閣を発足。一度辞任した首相の再就任は戦後では吉田茂以来。「アベノミクス」や「三本の矢」を掲げ、2020(令和2)年9月16日の総辞職まで連続在職2822日の最長記録を樹立。良くも悪くも昭和・平成・令和を見てきた政治家だったことは確かです。
短命の第3位は、在職日数65日の石橋湛山内閣です。1884(明治11)年生まれの湛山は早稲田大学文学部卒業後、東洋経済新報社に入り、編集主幹を経て代表取締役専務にも就任。戦後は1946(昭和21)年5月発足の第1次吉田茂内閣に大蔵大臣として入閣し、GHQに対して進駐軍経費負担を低減するよう勇気ある要求を行いました。翌年公職追放となり、解除後は鳩山派の幹部として動きます。
1956(昭和31)年、自由民主党鳩山一郎の引退声明を受けた公選の結果、最有力視された岸を7票の差で破って2代目総裁に選出され、第55代総理大臣に就任しました。「一千億減税・一千億施策」「中共貿易拡大」などの積極政策を掲げて全国遊説へ向かうものの、翌年初頭には過労で倒れてしまいます。当時の岸信介外相を臨時首相代理に指名した石橋氏は2月末に至ってもなお加療の必要があると診断されたことから総辞職。その引き際には賛辞を送る者が多かったといいます。
短命政権の第2位は、在職日数64日の第80代羽田孜元首相。1994(平成6)年4月に新生党、公明党、日本新党、民社党などを与党とする連立政権として発足した羽田内閣では、直前に社会党が連立政権を離脱したため、少数与党内閣としての出発でした。「改革と協調」を掲げ、平成6年度予算を成立させたものの、永野茂門法相の「南京大虐殺はでっち上げ」発言が国内外で問題視され、自民党から内閣不信任案が提出されます。当時はあまり評価されなかった「省エネルック」の推進者でもありました。
最も短命に終わったのは、在職日数わずか54日間だった東久邇宮稔彦王元首相です。在任期間は1945(昭和20)年8月17日から10月9日。第二次世界大戦直後の終戦処理内閣として、憲政史上唯一の皇族内閣を組閣しました。連合国に対する降伏文書の調印、軍の解体と復員、行政機構の平時化、占領軍受け入れなどを実施した後、総辞職したものです。陸軍大学校卒業後フランスに7年間留学していた東久邇宮氏は、日米開戦に反対したと言われます。総理退任後は、GHQの指令により皇籍を離脱しています。逝去は1990(平成2)年102歳と、歴代で最も短命だった内閣総理大臣は、歴代最長寿を全うしました。
在職日数ベスト3の首相は長州(山口)出身ばかり!?
憲政史をさかのぼると、明治の内閣総理大臣は伊藤博文、黒田清隆、山県有朋、松方正義、大隈重信、桂太郎、西園寺公望の7人しかいません。明治といっても憲政スタートが明治18年12月ですから、実質的には26年。平成よりやや短いぐらいですが、平成の30年間には16人の総理大臣が組閣。維新の元勲らがいかに政権の中枢を独占していたかが分かります。では、長期政権のベスト3です。
第3位は、在職日数2798日の佐藤栄作元首相。1901(明治34)年山口県生まれで、第56・57代内閣総理大臣を務めた岸信介は実兄。東京帝大法学部を卒業、鉄道省の官僚として運輸次官まで務めるエリートでした。吉田茂の知遇を受けたのをきっかけに1948(昭和23)年に退官して自由党に入り、第2次吉田茂内閣の官房長官に就任。東大法学部→官僚→政治家路線の先駆けと言えるでしょう。
第61代内閣総理大臣に就任したのは1964(昭和39)年11月9日。東京五輪直後の就任当時は「20世紀生まれの初の宰相」として話題になりました。1972(昭和47)年7月7日まで途切れることのなかった連続在任期間は歴代2位、自由民主党史上唯一4選された総裁としても知られます。日韓基本条約批准、非核三原則提唱、沖縄返還をなし遂げた功績の一方、「黒い霧」事件などのスキャンダルにも悩まされました。退任後の1974(昭和49)年に、非核三原則制定などが評価され、ノーベル平和賞を受賞した唯一の日本人です。
第2位は、在職日数2886日の桂太郎元首相。1848(弘化4)年に現在の山口県萩市に生まれた長州藩士で、戊辰戦争にも参加しました。政治家になってからは「巨頭」などのあだ名で呼ばれましたが、藩士時代のものとして残っている写真はかなりの美青年です。明治に入るとドイツへ3年間留学した後、陸軍に奉職。日清戦争にも出征し、台湾総督を経て陸軍大臣に就任します。この頃、拓殖大学の前身となる台湾協会学校を設立し、初代校長も務めています。
元老会議の推薦を受けて明治天皇から組閣を命じられたのは、1901(明治34)年6月。第11代内閣総理大臣として小村壽太郎を外相に起用、日英同盟締結(1902)を進めました。この結果が有利に働いて日露戦争(1904-05)に勝利、比較的安定した時代として西園寺公望と交代で首相を務め、「桂園時代」を築きます。大逆事件と韓国併合(1910)など日本史上の大事件を経て、1911(明治44)年2月には不平等条約改正を達成しています。
第1位は、在職日数3188日の安倍晋三元首相。1954(昭和29)年東京都生まれですが、本籍地は山口県の現・長門市。母方の祖父に岸信介元首相、大叔父に佐藤栄作元首相がいる政治家一族に育ち、父晋太郎も外務大臣・内閣官房長官を歴任しました。
第1次安倍内閣の組閣は2006(平成18)年9月20日、戦後最年少、戦後生まれとして初の内閣総理大臣に指名され。「美しい国」を唱えました。翌年9月に体調悪化のため辞任しますが、2012(平成24)年12月には第2次安倍内閣を発足。一度辞任した首相の再就任は戦後では吉田茂以来。「アベノミクス」や「三本の矢」を掲げ、2020(令和2)年9月16日の総辞職まで連続在職2822日の最長記録を樹立。良くも悪くも昭和・平成・令和を見てきた政治家だったことは確かです。
短命内閣それぞれの「終わった」理由とは
一方、短命に終わった内閣についても調べてみました。短命の第3位は、在職日数65日の石橋湛山内閣です。1884(明治11)年生まれの湛山は早稲田大学文学部卒業後、東洋経済新報社に入り、編集主幹を経て代表取締役専務にも就任。戦後は1946(昭和21)年5月発足の第1次吉田茂内閣に大蔵大臣として入閣し、GHQに対して進駐軍経費負担を低減するよう勇気ある要求を行いました。翌年公職追放となり、解除後は鳩山派の幹部として動きます。
1956(昭和31)年、自由民主党鳩山一郎の引退声明を受けた公選の結果、最有力視された岸を7票の差で破って2代目総裁に選出され、第55代総理大臣に就任しました。「一千億減税・一千億施策」「中共貿易拡大」などの積極政策を掲げて全国遊説へ向かうものの、翌年初頭には過労で倒れてしまいます。当時の岸信介外相を臨時首相代理に指名した石橋氏は2月末に至ってもなお加療の必要があると診断されたことから総辞職。その引き際には賛辞を送る者が多かったといいます。
短命政権の第2位は、在職日数64日の第80代羽田孜元首相。1994(平成6)年4月に新生党、公明党、日本新党、民社党などを与党とする連立政権として発足した羽田内閣では、直前に社会党が連立政権を離脱したため、少数与党内閣としての出発でした。「改革と協調」を掲げ、平成6年度予算を成立させたものの、永野茂門法相の「南京大虐殺はでっち上げ」発言が国内外で問題視され、自民党から内閣不信任案が提出されます。当時はあまり評価されなかった「省エネルック」の推進者でもありました。
最も短命に終わったのは、在職日数わずか54日間だった東久邇宮稔彦王元首相です。在任期間は1945(昭和20)年8月17日から10月9日。第二次世界大戦直後の終戦処理内閣として、憲政史上唯一の皇族内閣を組閣しました。連合国に対する降伏文書の調印、軍の解体と復員、行政機構の平時化、占領軍受け入れなどを実施した後、総辞職したものです。陸軍大学校卒業後フランスに7年間留学していた東久邇宮氏は、日米開戦に反対したと言われます。総理退任後は、GHQの指令により皇籍を離脱しています。逝去は1990(平成2)年102歳と、歴代で最も短命だった内閣総理大臣は、歴代最長寿を全うしました。
<参考サイト>
歴代内閣│首相官邸
https://www.kantei.go.jp/jp/rekidainaikaku/index.html
歴代内閣│首相官邸
https://www.kantei.go.jp/jp/rekidainaikaku/index.html
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