●「非日常」という勇気
執行 人間というのは、それぞれの関係の中で生きることを良しとしています。これを社会といい、日常性というのです。だから、この日常性、あるいは社会は、嫌な言葉でいうと「気を使う」、良い言葉でいえば「礼儀」ということになる。ところが、何か物事をやるというのは「非日常」なのです。非日常というのは、日常の世界からまず自分が出なければならない。これが勇気なのです。この世では、すべてのことは勇気のなせる業です。これが僕の一番にいいたいことです。
人間の命の中で一番重要なものは、勇気だということです。僕は20歳の頃に、小林秀雄さんと縁があって、いろいろと文学論をさせてもらったことがあるのですが、小林秀雄さんが、本には書いていないようですが、いっていた言葉があります。当時、小林秀雄さんは日本の知性の最高峰にいるといわれていた方ですが、その人が「知性は勇気のしもべである」といったのです。僕はこの言葉が忘れられない。日本で一番知性があるといわれている人が、「知性などというものは勇気のしもべなんだ」というのですから。
だから僕は、今でも覚えている。小林秀雄さんにその言葉を聞いて感動し、自分の人生観の柱に置いて、それから40年、50年ぐらい経つ。もう、ずっとそれで生きているのです。だから僕は人間にとって一番重要なものは、勇気だと思うのです。後のことは、もう後のこと。人に失礼なことがあったら謝っておけばいいのです。「すみませんでした」というのです。仕方がありません。考えていたら、何もできないということになってしまう。
―― でも、小林秀雄の言葉はすごいですね。
執行 僕はそう思う。ですから、ものすごく鮮明に記憶しています。僕は小林秀雄さんが大好きなので、どこかに書いているかなと思って、何度も全集を読み返したのだけれど、本には書いていないようです。しかし、僕はそれをじかに聞いているのです。
―― やはり小林秀雄は大したものですね。
執行 それはもう、すごい。僕は偶然、ものすごく文学が好きで、若い頃から死ぬほど文学を読んできた人間です。そういう縁で、文学者を中心に、けっこうかわいがってもらって、知り合いになった人も多いのですが、昔の偉い人、頭がいい人の知性はすごいものがあった。
僕の感覚では、自分が30歳のときを境にして、日本社会から小林秀雄クラスの人間は、ズドーンと突然いなくなった。僕は33歳のときに独立して会社をつくり、それ以後も、割と社会的な地位がある人にもたくさん会ったのですが、みんな肩書があって地位があるだけです。実際に会ってみると、人間的に魅力がある人がいない。
―― ちょうど1980年代。これからバブルに入っていくという、そのときですね。
執行 あの頃、僕がまだ若者だった頃に、60歳、70歳の人は、小林秀雄、村松剛、それから特別に親しくさせていただいた森有正というような人たちでした。特別の有名人では、三島由紀夫もいましたが、僕は文学好きだったので、そういう人にみんな知り合ったわけです。そして大いに文学論をした。
―― なるほど、森先生にも会っておられるのですね。
執行 森有正さんとは、とても親しくさせていただきました。森有正が日本に帰ってくるときに、国際基督教大学の教授になる予定だったので、その準備を手伝っていたところで、パリで急死され、帰ってこられなくなった。森有正さんにはすごくかわいがってもらい、諏訪に一緒に旅行したこともありました。その思い出は、エッセーに書いています。
その頃の人は、小林秀雄さんだけではなく、森有正さんも全部そうなのですが、もともと本を読んでいて尊敬していて、それで何かの機会で会う。そうすると本当に感動したのです。すべての人が、書いてあることより生身のほうがより大きくてすごいのです。
―― なるほど、書いているものよりすごいのですね。
執行 昔の人は、本に書いてあることよりも会ったほうが、迫力があり、人格があり、魅力があるわけです。それは僕が33歳まで(現在68歳なので、今から35年前まで)のことです。
(33歳で)僕は無一文から事業を始めました。ちょうど子どもが生まれて、女房が死んで、すぐに独立した。子どもを背負ってミルクをやりながら一人で始めたのです。会社をつくってしばらくはもう、いろいろな人と会ったりしている暇もなかった。5年から10年以上ぐらいはずっと夢中で商売をやって、会社も何とかなってきて、またいろいろな人と会えるようになった。それで、40歳から50歳ぐらいになって、割と社会的な地位のある人に会うと、何の魅力もない。最初は僕が歳を取ったのかなと思っていたけれども、どうも科学的に分析していっても、本当に魅力がない。
―― なるほど。要するに、1980年代以前は魅力的な人がいっぱいい...