●なぜ仏教は5番目の文明として見なすことができないのか
―― 仏教文明は、4大文明に続く5番目として、どうして考えられないのでしょうか。
橋爪 仏教徒は10億人もいないですね。どんなにかき集めても、2億人ぐらいでしょう。東南アジアに少しいますが、それで終わりです。一番、人数が少ない文明は、10億人程度です。ですからそこから下は、無視しています。
重要でないという意味ではありません。中国、朝鮮、日本では、仏教の影響がとても大きいからです。しかし、仏教は独自の文明をつくるほどの、インパクトを残しませんでした。仏教だけで国をつくったのは東南アジアだけです。人数が少ない、という理由で取り上げませんでした。
―― 神道は、もっと少ないということですか。
橋爪 神道はますますインパクトがありませんね。だから神道は、カルチャーです。
―― それでは、仏教もカルチャーですか。
橋爪 いえ、仏教は普遍思想です。
―― 普遍思想ではあったが、文明を形成するまでに至らなかったということですね。
橋爪 普遍思想ではありますが、10億人単位の文明を形成しませんでした。
―― その理由は、簡単にいうと何ですか。
橋爪 ヒンドゥー教に負けてしまったからです。
仏教が盛んになったのは、通商、つまりビジネスやトレードが発達した時代です。そのため、主たる担い手は商人でした。商人とは、ヒンドゥー教のカースト制というと、ヴァイシャです。商人はお金の計算をするので、合理的です。そして、外国人と付き合います。だから国際性もあります。インドは一度、この方向に進みそうになりました。アショーカ王の時代(紀元前3世紀頃)です。かなり仏教に力点を移した時代でした。
しかし、仏教の組織的な弱点は、出家主義です。誰でもみんな、真理にアクセスするのですが、真理にアクセスするためには、瞑想しなければならず、基本的にフルタイムです。そのため、労働現場から離れてフルタイムで瞑想する集団「サンガ(僧伽)」をつくり、そこで修行をします。その人たちは働かないので、食べ物などを働いている人から供給してもらわないといけないので、在家の人たちを必要とします。
出家主義は非常に弱いものです。出家主義のもとで、仏教はバラモンをつくらない代わりに、先述したように出家者の集団というものをつくりました。そうすると、在家の人が必要となりますが、在家の仏教徒は、実はヒンドゥー教徒です。なぜなら、ヒンドゥー教の職業を営んでいるからです。そうすると、ヒンドゥー教が仏教徒を締めつけてきて、「最近、お布施が少ない」「シヴァ神、ヴィシュヌ神のお祀りをちゃんとやらないとダメじゃないか」と言い出します。それに従わなければならなくて、サンガに回る資源が少なくなり、やられてしまいます。
●中国における仏教も儒教の優位性のもとにあった
―― インドには、鳩摩羅什が翻訳した中国仏教が入ってきます。そうすると、一時期は、中国のなかでも仏教徒は、かなりの数を占めていたのでしょうか。
橋爪 そうです。
―― しかしそれも、最終的には儒教と道教にやられてしまったということですね。
橋爪 そうです。いろいろな説がありますが、私が納得しているのは、次のような説です。
まず隋と唐の時代に、仏教が国教化され、非常に勢力を持ちました。隋の前には、北方から来た異民族が建てた北周のような国がたくさんあり、それぞれが仏教に非常に力を入れていました。それまでのスタンダードな中国の考え方は、やはり儒教でした。儒教や道教を信じている漢民族のところに来た異民族は、それを相対化するために、仏教に肩入れしたのです。これにより、儒教の影響力を削ごうとしました。そういう説があります。
それゆえ、隋も異民族系です。唐も、もとは異民族です。しかしそこから、中国化していきます。仏教は出家主義なので、政治哲学がありません。ですから、仏教だけで国を運営するのは無理で、どうしても儒教の政治哲学が必要でした。ですから、儒教と仏教を抱き合わせにしないと、社会はまわりません。仏教は資源の移転が必要であり、国のサポートや財政を必要とします。それに対して、予算を握っているのは儒教の官僚です。そうすると、上下関係は明らかです。