●期待が高すぎるときは早めにギブアップして等身大の自分にする
―― 前回のお話の中で、開き直りの自信という話がありましたけれども、おそらく一番の大敵は周囲からの期待ですよね。
為末 はい。
―― 「メダル確実」といわれるケースもあれば、もっと身近なところでは両親の期待とか、会社の人の期待とかがあって、そういうものがどうしても開き直りをさせてくれないような局面もあると思うのですが、これはどうすればいいのでしょうか。
為末 理想として、育てる局面ではなるべく期待に応えるサイクルを回さないことですね。ある程度はいいのですが、ディテールに入らないことです。やること1個1個に対して、期待している人からほめられるというサイクルはあまり回さず、単純に自分で「こうなったら、どうやったらいいのだろう」というときに、「こうやってやろう」というようなものを作れれば、期待が強くても瞬間的に自分の世界に入れるので、いいと思います。
ただ、大人になってから、これをはねのけるのはなかなか大変な話ではあります。「相手の期待に応えなくてはいけない」と思うときに、無意識に「自分はこのくらいの大きさでなくてはいけない」と思い込んでいる自分がいるわけです。
―― それはどういうことでしょうか。
為末 相手が期待をしていて、うまくいかなかったらガッカリするわけですよね。相手がガッカリすることで、なぜ自分は傷つくのかということなのです。本当は何も起きておらず、高すぎた期待が本来価値に戻ったという見方もできるわけです。でも、なぜか自分はそのことを悪いことだと思っていて、自分自身が傷つくか、または相手に申し訳ないと思っている自分がいる。その原因は、自分の大きさを過剰に膨らませていることにあります。
―― 膨らんでしまったイメージということですね。
為末 はい。会社の価値でいくと、バブルで膨らんでいたのが本来価値に戻っただけなのに、そのときの落差を見てしまっている状態ですね。だから、なるべく早めにギブアップして、思い込んでいた自分の大きさを、等身大の自分にすることが大事ですね。
●競技とは関係がない自分の居場所を用意しておく
為末 もう1つ、逆説的ではありますが、大事なことがあります。緊張してうまく弾けなくなるような方だけにカウンセリングをやっている音楽の指導者がいて、その人は学生の頃、とにかくテストのときだけうまく弾けないという癖があったそうなのです。その時に、「もしかしてあなた、この音楽がなくなったら自分の人生は終わりだと思っていない?」と、カウンセラーに言われて、「思っています」と言うと、「だまされたと思って、これから半年間、音楽にまったく関係ない仕事のライセンスを取ってきなさい」と言われて、それを取りにいったら、なぜかうまくいったというのです。
このように、自分自身が「自分の人生はこれしかないのだ」と思うことで、そこから動けなくなることがよくあったりします。それをひっくり返すようなことになるんですが、競技とは関係がない自分の居場所とか、競技とは関係ない自分を許容してくれるようなものを作れると、その瞬間に力みが小さくなるのです。日本的な概念からすると、一意専心的というか、何か1 つのことに集中すべきというときの力とも関係ありますが、 自分にはもう1つの位置があって、だからこそ、競技の世界で思い切りやりきって、ダメならダメで、こちらもあるじゃないかと思うくらいのほうが、力を発揮することが多い気がします。
―― ある意味、逃げ道というか、別の世界を知っていることで、過度な集中がなくなっていくということでしょうか。
為末 はい。私の場合、祖母のところが畳屋で、母親が「広島の畳屋を継いだらいいじゃないか」と言っていたので、一生懸命やって、ダメならダメで広島に帰って仕事をするかという感じでした。その差、つまり陸上とは関係のない居場所が、どこかにずっとありました。「陸上がなくなっても、こちらの人生(広島の畳屋)を生きていこう」というようなところがあったのです。期待値の水準がかなり上がってしまうと下回るのがとても怖くなるので、あまり上がりすぎないようにコントロールできていることが重要だと思います。
―― 帰れる場所があるということですね。
為末 そうですね。それは逃げになることもあるので、うまく出したり、引っ込めたりしながらやるという感じですね。
●期待に対する自分なりの距離感をつかんでいくことが大事
―― 今、期待がバブルのように膨らんでしまうというお話がありました。競技人生の駆け出しの頃なのか、最後のほうなのかによって、だいぶ変わるとは思うのですが、本来的に言ったら、例えば絶対全国大会優勝だとか、金メダルだとか、その膨らんだ希望を自分自身も持ってい...