●教養とは本を読むこと
―― 皆さま、こんにちは。本日は橋爪大三郎先生に「人間にとって教養とはなにか」というタイトルで、お話を伺おうと思っています。橋爪先生、どうぞよろしくお願いします。
橋爪 どうぞよろしくお願いします。
―― ちょうど先日、橋爪先生は『人間にとって教養とはなにか』という本をSB新書から発刊されました。これは非常に学ぶべきところが多い本です。この本は教養の本として書かれていますが、一種、生き方そのものを教えてくれる本でもあるようにお見受けしました。そのあたりについて、橋爪先生ご自身のご感触としてはいかがでしょうか。
橋爪 教養とは本をたくさん読むことです。本をたくさん読まなくたって生きていけます。でも、生きていくためには、他の人間と一緒に手を携えていかなければいけません。
分業というものがあるが、例えば、ある人はパン屋さんで、ある人は畳職人だったとします。パン屋さんは、買ってくれる人がいなければパン屋さんはできません。畳職人もいろいろな人の畳を直して生計を立てます。というわけで、仕事というのはおのずから人とつながっています。
―― つながりですね、連携といいますか。
橋爪 そうです。だから普通は、みんな一緒に生きていくことになります。
このように生きてはいけますが、なぜそこに本が登場してくるのでしょうか。それは、誰かと一緒に生きていく場合、一緒に生きていく範囲がどこまでかが問題になるからです。その範囲は、普通は地域的に狭い。
―― 町内会とか、そういったレベルのことですか。
橋爪 さらに、時間的にも狭い。すぐ前の時代のことや将来のことはまだよく分かりません。そういう意味で、われわれは時間的に限られた範囲で生きています。
ところが、世界は広い。その限られた範囲を超えて、地理的にも、そして時間的にも広い。このように、実際には私たちの生活に対して多くの影響が及んでいますが、そのことは普通に生きていては分かりません。特に今はグローバル化の時代なので、世界の範囲は非常に深く広くつながっています。そのことを分かった上で日常の狭い世界を生きることと、分からないでただ闇雲に生きることには、大きな違いがあります。
本当に人びとと一緒に生きていくためには、やはり本を通じて、もっと広い範囲のことを知ったほうが良いでしょうと。これが教養です。
●歴史を知って過去の人とつながる
―― はい。やはりそれによって、クオリティ・オブ・ライフ、いわゆる生き方の質がまったく変わってくるという認識で良いのでしょうか。
橋爪 はい。例えば、普通に生きている中で、「つながっている」という意識がなかった人たちとの間につながりが見つけられることがあります。
―― なるほど。
橋爪 その典型的なものが「歴史」です。
例えば、今ここにこうして生きていられるのは、戦争や経済恐慌など、50年前や100年前にあったいろいろな課題をみんなで必死に乗り越えたからです。それらの経験が今を築いています。今のわれわれも、将来世代に何が残せるだろうかと考えます。このまま地球が温暖化していいのか、再生可能エネルギーにしたほうが良いのかなど、いろいろ言っていますよね。
―― はい。
橋爪 そのように将来のことを考えて、今を生きています。ということは、過去の人たちも、私たちのことを考えて生きていたということです。そういうことを忘れていいのだろうか。それを忘れないためには、本を読まないといけない。
本には昔、何があったのかが字で書いてあります。これが歴史です。歴史を知ることは、字の向こう側に、その時代を生きていた人びとがいて、その人たちとつながるということです。歴史を知ることよって自分が一回り大きくなったような気がしませんか。
―― おっしゃる通りです。確かに自分の小さい範囲から外れて、広い世界を知ることができますね。
橋爪 はい。広い世界を知っている人から見ると、狭い範囲のことしか知らない人というのは、なんだかサイズが小さいような、何を考えていても、子どものように見えてしまう気がしませんか。
―― そこは如実に大事なところですね。
●世界は広ければ広いほど、自分の意味づけが変わってくる
橋爪 私の家の裏側には保育園があり、毎日子どもたちが遊んでいます。すごく元気で、わーわーやっていて、みんな言いたいことがあるので、ずっとしゃべりっぱなしです。
―― なるほど。
橋爪 その保育園の子どもたちは充実して生きているんですけれども、大人から見ると「狭い」でしょう。時間的にも長く生きていないので、経験値も浅いでしょう。それから、言っていることを聞いていると、遊びのことや食べ物のことなど、目の前のことしか言っていません。だから彼らは子どもに...
(橋爪大三郎著、SB新書)