●「目の前のキリストとの出会い」とは何か
―― (まえがきにある)「目の前のキリストとの出会い」とは何でしょう。それは「自己と同一化したキリスト」と関係するのか、教えていただけますか。
執行 『ベラスケスのキリスト』のまえがきに私が書いた言葉ですね。要するに、「現前のキリストとの出会い」。また、「キリストと自己が同一化する」とは何か。
これをするために『ベラスケスのキリスト』を座右の書にしてほしいのですが、要は、尊敬しようが何をしようが現代人はキリストを信じることができないということです。今、「キリストのために十字架に架かりなさい」といって、(十字架に)架かれる人はいません。私もだめです。ということは、自分の中で、キリストの魂と自分が一緒になるしかないのです。
―― 同一化するしかない。
執行 そうです。そのために読むのが、この『ベラスケスのキリスト』です。だから「それをしてください」ということです。『ベラスケスのキリスト』でウナムーノは苦悩してキリストと語り合う。キリストがこの世に来た存在理由と、ウナムーノ自身が出会っていくのです。だから「ウナムーノ自身が出会っていく行程を追体験してください」ということです。
―― 追体験ですね。
執行 ウナムーノ自体がキリストと出会うわけです。キリストとウナムーノは、完全に同一化しています。ウナムーノは、そのレベルにいる。したがってウナムーノの本を死ぬほど読むと、自分もそれを追体験できる。そういう意味なのです。そこに自分自身の「生の革命」が起きるのです。
革命が起きるとは、どういうことかというと、キリスト教の言葉で言えば、自分の命が永遠の命につながっていくのです。その実感が持てる。
―― ここがすごいですね。自分の命が永遠の命につながっていくと実感できる。
執行 読み込んでいくと、必ず持てると、私は思います。それはウナムーノ自身の過程だから。それを追体験できるのが、この本なのです。
それが精神的にどのような意味を持つかというと、おそらく、自分の心の中に「革命の精神」が生まれてきます。
―― 革命の精神ですか。
執行 世の中に対する変革。何かへの挑戦、変革。そういう心が生まれてくる。その心が生まれてくると、必ず「義」の心を引き寄せます。革命プラス義によって、原始キリスト教徒が持っていたような「本当...