●なぜ『ベラスケスのキリスト』なのか
―― よろしくお願いします。今日は執行先生に『ベラスケスのキリスト』の魅力を語っていただきます。これは本邦初訳で、これほど難しいものを先生の思想をもって読み解いていく。私にもすごくありがたい機会です。
先生は「宗教の時代は終わった」と言っておられますね。
執行 元々の著作ではそうです。
―― 今なぜ、この本を世の中に問うことになったのか。そこのところから教えていただけますか。
執行 『ベラスケスのキリスト』は、本の全容としては、(ミゲール・デ・)ウナムーノというスペインの哲学者が、プラド美術館にある、(スペインの画家ディエゴ・)ベラスケスが描いたキリスト像と一生涯対面しながら、魂の対話をしたという1つの瞑想書です。
「宗教が終わった」とは、われわれ近代人は良くも悪くも科学文明の汚染を受けて、本当の意味で神様を信じられない、ということです。これは19世紀後半から仕方ないことです、もうここまで行ってしまうと。
それでも私は、21世紀になっても一番人間存在にとって大切なのは、神だと思います。だけど、神は失ってしまった。
神を失ってしまったということは、これからは「超宗教」に入らなければならない。宗教を超える、つまり「神を超える」ということです。ちょっと傲慢な言葉ですが。
われわれ人間のレベルでいうと、21世紀は「霊性の文明」に入らないと人類はもう棲息できないということを、多くの識者も言っています。霊性文明を本当につかむための重要な方法として、私が今まで読んだ本の中では、『ベラスケスのキリスト』を読み込めば霊性文明が理解できると感じていました。ただし今まで日本では訳す人がいなかった。だから私の関連者で、スペイン語が得意な人と組んで訳させてもらいました。
スペイン語が得意な人がスペイン語を訳し、私はそれをもとに『ベラスケスのキリスト』の英訳本2冊を参考にしながら、ウナムーノの哲学に沿うようにこの詩を翻訳しました。私はウナムーノの哲学を死ぬほど研究していますから。そしてこの本が、霊性文明のはしりになるということです。
―― 『ベラスケスのキリスト』が、宗教を超えていくものとの橋渡しになる。
執行 超宗教の始まりが『ベラスケスのキリスト』になるということです。「魂」と「人類の本質」とでもいうのでしょうか。釈迦や...