●「剣を磨す火花」が意味するもの
―― 次に第1部第39節の「沈黙」。ここに神秘思想があるように思います。ウナムーノの考える神秘思想と、われわれの生命の沈黙について教えていただけますか。
執行 その前に先ほどの「剣」の最後にある「剣を磨(ま)す火花」という言葉を解説します。この「剣を磨す火花」が、われわれの生命の本質です。「剣を磨す」は「剣を研ぐ」で、剣を研ぐときに出る火花が、われわれの生命を表す根源的な言葉です。
これが、神藏さんが先ほど挙げた「その剣で、我々の生命と臍の緒を断たねばならぬ」が出てくる詩の最後に書かれているのです。
―― なるほど。「剣を磨す火花」ですね。
執行 これも言葉として覚えておくと、すごくいいです。
―― ウナムーノの本質の1つですね。
執行 もちろん、そうです。ウナムーノの言葉を、全部、日本語に訳したものですから。
―― でも、先生の言葉と同一ですよね。
執行 それはそうです。武士道ですから。ウナムーノの中心思想も騎士道です。だから武士道や騎士道がわかっている人以外、この本は訳せません。
―― そうですね。
執行 言葉が変わってしまうとイメージが変わりますから。ウナムーノの言いたいことが伝わらない。
―― 「剣を磨す火花」というのは、すごいですね。
執行 すごいです。これが結論として、27節の詩の最後の行に出てくる言葉ですから。それによって39節の「沈黙」という神秘思想がその中から生まれてくるのです。
先ほど少し言いましたが、生命の本質が「沈黙」なのは、宇宙の本質が「沈黙」だからです。「宇宙と同一化した」と考えたわれわれの生命、宇宙のエネルギーが浸潤した状態としてのわれわれの命は「沈黙」です。
ところが、実際のわれわれは違います。火花なしで生きているし、言葉もしゃべる。でもわれわれの本質は「暗黒流体の中に生きる、愛を目指す火花」なのだと、わからなければだめなのです。沈黙の中における雄叫び。沈黙の中における愛の実践。沈黙の中における会話。沈黙の中におけるオリンピックや運動でもいい。本当は宇宙の沈黙の中にわれわれは生きているけれど、一瞬の火花として肉体を与えられている数十年の間は、棒高跳びもできる。そういう感覚が、この「沈黙」の持つ感覚です。これがわかってくると神秘思想がわかるようになるのです。
「十字架の聖ヨハネ」というヨーロッパの神秘思想の代表的な思想家がいます。15世紀ぐらいのスペイン人で、「サン・ファン・デ・ラ・クルス」と言われている人です。彼の言葉で「われわれの命は沈黙の中にある」というものがあります。それが生命の真実で、これをわかれというのが神秘思想の中心です。
この西洋の神秘思想や東洋の神秘思想が、現代人の苦悩とマッチングし、葛藤すると霊性文明になる。キリストの磔刑は大宗教家の死だけれども、1つの神秘なのです。自分から進んで十字架に架かったのですから。
ご存じだと思いますが、ローマの総督だったポンティオ・ピラトは、キリストを助けたくてしかたなかった。これが理不尽な十字架だとわかっている。でもユダヤの民衆は「殺せ、殺せ」と叫ぶので、キリストに直に「おまえが『地上の王』などと馬鹿なことを言わなければ助ける」と言うけれど、キリストは「父がそう言うのだから」ということで黙る。一切、答えない。それによって、最終的にはどうしようもなく、ポンティオ・ピラトは法律を執行して、殺すしかなくなる。だから、あえて死んだのです。
これが神秘の始まりです。このキリストをずっと瞑想しながら、どんどん中世で発展してきたヨーロッパ哲学が、神秘思想なのです。その頂点にいる人たちがドイツでは(マイスター・)エックハルト、スペインではサン・ファン・デ・ラ・クルス。この人たちもいろいろな著作を書いています。
私の生き方の座右の銘は、サン・ファン・デ・ラ・クルスの言葉です。だからヨーロッパ神秘思想の哲学者の言葉が、私の座右の銘です。「おまえの知らぬものに到達するために、おまえの知らぬ道を行かねばならん」という有名な言葉です。私がこれを知ったのは20歳のときで、今もそうです。
―― それも20歳ですか。
執行 ウナムーノと一緒のときです。この言葉を20歳のときに知って、私は今72歳ですが、ずっとそれで生きています。「おまえの知らぬものに到達するために、おまえの知らぬ道を行かねばならぬ」。
だから私は毎日、人生の記憶が、あまりないのです。毎日毎日死に向かって、初めての自分の運命にぶつかっていくという姿勢で、今日も生きています。
―― なるほど。「知らぬ道」を行っているわけですね。
執行 自分の道、自分の運命、宇宙から与えられる私の運命。かっこいい言葉で言うと、私の宇宙的使命です。宇宙が与...