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【皆さまにお寄せいただいたご意見(抜粋)】(講義中でご紹介できたもの)
◆印象操作、歪曲、一方的な意見の主張など、うんざりする番組、記事がある。自分たちが正義だと勘違いし、民意を都合よく解釈し、都合の悪いときは、論点をずらすなど、ダブルスタンダードなところもある。
◆問題ありとするメディアはあまりにも政府寄りであり、権力を監視するというメディアの重要な役割を果たしていないと考える。
◆自社の主張に沿った事実、意見を正当化するのは是としても、自己主張の意識が露骨に垣間見えて、主張の立ち位置のバランス感覚が悪い。自分と意見が違う他者への気配りが見受けられない。また、記者、識者の人間性を見た場合、センス、ボキャブラリにリテラシーが感じられない人が多々見られる。
◆事実関係としての報道なのか、その上での、社の意見・見解なのかが曖昧なものが散見されますね。それと同時に、番組に登場するコメンテーターの起用にも節度が欠けること(コメンテーターのリテラシーレベルに問題がありそうですが)が多いですね。
◆NHKも週刊文春もジャニーズ問題はかなり深く独自取材、内部討論をしている気がする。それらを我々公共の場で時にはお金を払ってでも目にする、読む機会があり、こちらも冷静に判断出来る。民放はスポンサーの動向に右往左往としていて、全く独自の見解を持っていないように思える。大手のスポンサーの意のままに結論づけている気がする。
◆事情を知りながら広告料と視聴率を荒稼ぎしてきた大衆メディアこそジャニー氏に次ぐ加害者であろうと思います。石を投げる側に回っていられる神経が理解できません。メディアというからには、金儲け以上に大切なことを創り守ることが使命としてあるはず。大衆メディアはもう、社会の木鐸たる看板を下ろし、もっぱら娯楽提供者として位置づけした方が、少なくとも偽善を見せられなくて済むのでありがたいです。
◆忖度というより、周知の事実を皆で隠してる方が都合が良かっただけ。どのメディアが悪くてどこが良いかなどという問いが、事実を直視することを巧みに避ける下らない構えが透けて見える。自分たちの損得勘定で扱う内容を決めるのだから、日本にジャーナリズムは存在しない。テレビと新聞は繋がっているから、共に全滅。週刊誌も、作家の醜聞には斬り込めないなどの損得勘定が働くので、たいしたことはない。
◆権力にすり寄り、なかんづく、そのお先棒を担ぐような名ばかりジャーナリスト、批判に謙虚に向き合わず、会社組織の看板にぶら下がって、利権に群がるマスコミ記者のなんと多いことか。記者クラブ制度の解体と、報道人の匿名性を排して公表すべきと思う。
◆戦後の日本は、見えない強大な圧力に屈し表現の自由とは表面でしかない。
◆新聞では署名記事、外部の識者などにより、多視点の補いはあるが、テレビのコメンテイターの月並みな論評、あるいは教養不足な放映は、意味を感じさせない。「メディアの劣化」はかつて言われた一億総白痴化の一面であり、その責任は我々国民にある。国民が賢くならなければと改めて思う。
◆ワイドショー的なネタを大衆に提供しなければ存在意義のない日本のメディアの幼稚さは呆れ果てますが、政治や社会問題よりも下世話な思考力にしか興味がない多数の大衆がいる事も忘れてはいけない。メディアが悪いというよりは、実は大衆を写し出す鏡がメディアではないかと思う。
◆昭和55年に産経新聞が書いた初めての北朝鮮の拉致関与記事。昭和63年、梶山静六国家公安委員長が、政府として拉致疑惑の存在を認めた議会答弁。それでも社会主義国にシンパシーを持つ多くのメディアは17年に及んでだんまりを続けた。ジャニーズ問題も根は同じ。対策はただ一つ、時...


