神社を中心とする「神道」はどんな宗教なのか?
日本は、先進国でも珍しい多神教の国です。太陽、月、山、海、そして先祖の魂などを祀る風習を持ち、そうしたあらゆるものに宿る神々を「やおよろずの神」と呼んでいます。漢字では「八百万の神」と書き、つまり数え切れないほどたくさんの神がこの世には存在しているという考えを持っているのです。この日本古来の宗教観を、一般的には「神道」といいます。
しかし、神道には教典もなければ戒律も存在しません。宗教としての説明を求められるといささか困るということもありますよね。では改めて、神道とはいったい何なのでしょうか?
キリスト教であれば開祖はイエス・キリスト、仏教であればゴータマ・シッダールタが開祖となりますが、神道には開祖も存在していません。あくまで、日本列島の各地域に土着した風習が、長い時間をかけて、同民族の間でうすぼんやりと共有されるようになった“感覚”や、文化そのものが神道なのです。
ならば、それを宗教といえるのか、疑問に思われる方もいるかもしれません。しかし、そもそも宗教とは、精神を支える指針や考えのことをいいます。決して、教典や教義のある教えだけを指す言葉ではありません。広く、神道も立派な宗教のひとつといえます。
仏教を受け入れ、風土に合わせてアレンジを加えたように、日本はさまざまな宗教の風習に寛容な性格を持った国といえます。新年は神社に参拝し、葬儀では仏教の経典であるお経をあげ、クリスマスやハロウィンをイベントとして文化のなかに取り入れています。まるで節操がないと思われることもありますが、それは「八百万の神」という多様な神を祀る土壌があってこそ実現していることなのです。
この世界観のなかで、日本人は自分たちに人間もふくめ、あらゆるものに神が宿るとしました。おもに信仰対象となってきたのは自然神ですが、決して彼らは善行を行うだけの神ではありません。自然神はときに荒れ、飢饉や嵐などで人々を苦しめます。その行為には「人に試練を与えるため」などの理由もありません。自然のなかに人が場所を与えられているのだから、自然がなすがままに荒れ、ときに人が災難に見舞われることは特別なことではないからです。東日本大震災などの災害を受けても、日本人が比較的冷静にいられるというのは、そうした感覚が強いためともいれます。
また、神道で祀る神は自然神だけではありません。江戸幕府を開いた徳川家康は、日光東照宮の祭神となっています。こうした人の魂も、ときには信仰対象になります。また、怨霊となって厄災を京にふりまいたとされる菅原道真は、天満神社の神として祀られ、現在では学問の神として有名です。
しかし、神道には教典もなければ戒律も存在しません。宗教としての説明を求められるといささか困るということもありますよね。では改めて、神道とはいったい何なのでしょうか?
教典も教祖も存在していない神道
キリスト教、イスラム教、仏教の3つが世界三大宗教といわれています。いずれも教典が存在し、信仰する対象や、教徒として求められる規範が明確に存在しています。神道との大きな違いは、こうしたルールの有無といえます。キリスト教であれば開祖はイエス・キリスト、仏教であればゴータマ・シッダールタが開祖となりますが、神道には開祖も存在していません。あくまで、日本列島の各地域に土着した風習が、長い時間をかけて、同民族の間でうすぼんやりと共有されるようになった“感覚”や、文化そのものが神道なのです。
ならば、それを宗教といえるのか、疑問に思われる方もいるかもしれません。しかし、そもそも宗教とは、精神を支える指針や考えのことをいいます。決して、教典や教義のある教えだけを指す言葉ではありません。広く、神道も立派な宗教のひとつといえます。
仏教を取り入れ、発展した文化
日本でもうひとつメジャーな宗教といえば仏教があげられますが、実は明治時代に仏教と神道が区別されるようになるまで、ふたつはないまぜになっていたのです。歴史の授業などで「神仏習合」という言葉に聞き覚えのある方もいるかもしれません。日本の仏教は、神道の神々と合わさり、神道にも影響を与えながら独自の進化をとげました。仏教を受け入れ、風土に合わせてアレンジを加えたように、日本はさまざまな宗教の風習に寛容な性格を持った国といえます。新年は神社に参拝し、葬儀では仏教の経典であるお経をあげ、クリスマスやハロウィンをイベントとして文化のなかに取り入れています。まるで節操がないと思われることもありますが、それは「八百万の神」という多様な神を祀る土壌があってこそ実現していることなのです。
自然のひとつとして存在する人間
では、神道の世界観とはどんなものなのでしょうか?例えば、キリスト教には創造主とされる唯一神が存在しています。その神が人をつくり、人は自然を支配することを役割として担っているといわれます。つまり、神と人を頂点としたピラミッド構造の世界観です。対して日本の神道の世界観は、自然という大きなくくりのなかに、木々があり、山や川、があり、自然のひとつとして人間が存在しているという世界観です。この世界観のなかで、日本人は自分たちに人間もふくめ、あらゆるものに神が宿るとしました。おもに信仰対象となってきたのは自然神ですが、決して彼らは善行を行うだけの神ではありません。自然神はときに荒れ、飢饉や嵐などで人々を苦しめます。その行為には「人に試練を与えるため」などの理由もありません。自然のなかに人が場所を与えられているのだから、自然がなすがままに荒れ、ときに人が災難に見舞われることは特別なことではないからです。東日本大震災などの災害を受けても、日本人が比較的冷静にいられるというのは、そうした感覚が強いためともいれます。
また、神道で祀る神は自然神だけではありません。江戸幕府を開いた徳川家康は、日光東照宮の祭神となっています。こうした人の魂も、ときには信仰対象になります。また、怨霊となって厄災を京にふりまいたとされる菅原道真は、天満神社の神として祀られ、現在では学問の神として有名です。
神道を信仰している人の割合は?
「あなたの信じている宗教はなに?」と聞かれると、戸惑いを感じる人は多いのではないでしょうか。文化庁の宗教統計調査結果統計では、日本人の約48%が神道であり、約45%が仏教とされています。しかし、すんなりとそれが口には出て来ません。日本人にとって、神道は、宗教というよりも、「風習」や「文化」といった言葉の方がしっくり来るのかもしれませんね。
<参考サイト>
・文化庁:宗教統計調査結果(平成26年12月31日現在)
http://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/shumu/pdf/h26kekka.pdf
・文化庁:宗教統計調査結果(平成26年12月31日現在)
http://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/shumu/pdf/h26kekka.pdf