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激動世界の必須教養『戦争の地政学』と二つの世界観
岸田首相は2023年3月、「自由で開かれたインド太平洋」のあらたなプランを発表する政策スピーチを行いました。この「自由で開かれたインド太平洋」は、中国が邁進する「一帯一路」政策に対抗するための地政学的概念にほかなりません。でも、そもそも「地政学」とは何なのか。地理的条件は世界をどう動かしてきたのか。そして、現在われわれが直面している危機とは何なのか。このような大きな問いとともにロシアのウクライナ侵攻をめぐるホットな疑問にも答えてくれるのが、『戦争の地政学』(篠田英朗著、講談社現代新書)です。
著者の篠田英朗氏は、1968年生まれの国際政治学者。冷戦が終わって最初に大学院に入った世代として、「自分たちの生まれた20世紀の国際社会とは何だったのか」、とりわけ「冷戦体制とは何だったのか」、そして「冷戦終焉後の世界に何が起こるのか」ということを大きな問題意識として、日本とロンドンを中心に研究を重ねてこられた方です。
座学だけではなく、学生時代より難民救援活動に従事、クルド難民(イラン)、ソマリア難民(ジブチ)への緊急援助のための短期ボランティア派遣を振り出しに、国内外のさまざまな活動に参加して、世界のなかの日本のあり方を国際秩序の観点から構築しています。現在では東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授をつとめるほか執筆活動も精力的に行い、「ニコニコ動画」の国際政治チャンネルにも定期的に出演されるなど、軽快なフットワークの持ち主です。
最初に「地政学」の概念が生まれたのは1899年、スウェーデンの政治学者R.チェーレンにより“Geopolitik(ゲオポリティーク)”と呼ばれたのは、政治学の一領域としての手法であり、ヘーゲルが提唱した「国家有機体説」をより具体的に発展させたものでした。
一方、今日の地政学の議論でよく耳にするのは、「シー・パワー」や「ランド・パワー」、「ハートランド」などではないでしょうか。これらを主なキーワードにするのが「英米系地政学(ギオポリティーク)」。代表的な論者としてはマッキンダーやスパイクマンがあげられ、海洋の自由、海洋国家(シー・パワー)による陸上国家(ランドパワー)の封じ込めを志向する点が特徴的です。
これに対し、「生存圏」「パン・イデーン(Pan-Ideen:汎理念)」などをキーワードとするのが「大陸系地政学」。代表的な論者にはハウスホーファーやシュミットがいます。もともとの流れが「国家有機体説」にあるため、大国の主権と圏域を重視します。とはいえ、それは近年のダイバーシティと矛盾するものではなく、複数の広域圏の存在を前提にした秩序を志向する特徴があります。
二つの世界観は単なる理念上の対立ではなく、ヨーロッパを一つの圏域とみなすのか、バランス・オブ・パワーの社会と見るのかという世界情勢を反映したもの。それに沿ったかたちで17世紀以降のヨーロッパにおける戦争が理解できるのだと著者はいいます。
いずれもマッキンダー登場以前のことで、その理論を先取りするかのようなかたちでしたが、日本に地政学の理論が構築されていたかというと、篠田氏の回答は「イエスであり、ノーである」。むしろ、こうした日本の外交政策こそが、マッキンダー理論の登場に影響を与えたということのようです。
ただし、その後の「大東亜共栄圏」をめざす帝国主義的政策は、シー・パワーとしてのふるまいではありません。大陸での拡張政策は、「いかなる国もシー・パワーであると同時にランド・パワーであることはできない」というマハンが唱えたテーゼに対する挑戦でした。
実は日本では、二つの地政学の「どちらかを取る」ことが「もう一方を否定する」ことだという認識が育っていなかったのです。そのため、戦中の日本はむしろナチス・ドイツがめざした「生存圏を有しない民族であるドイツ人は、生存するために軍事的な拡張政策を進めねばならない」という思想に影響されていきます。これらの経緯から、第二次世界大戦後の日本で、「地政学」は長くタブー視されることになったのです。
ロシアが国際的な批判を浴びながらもウクライナを併合しようとするのは、ロシアの生存圏、勢力圏回復のためであり、それこそが国際秩序の回復だと確信する大陸系地政学によるものです。
中国の一帯一路構想もまた、ランド・パワーというよりは生存権、勢力圏、広域圏の拡大をめざすもの。これに対抗するために日米豪印で合意された「開かれたインド太平洋」戦略は、英米系地政学に基づくものです。
時々刻々のニュースに一喜一憂することなく、国や地域の「意味」を考え、世界をより構造的に見る力をつけるため、二つの地政学の知識は役に立ちます。『戦争の地政学』は、国際秩序と平和のために役立つ書なのです。世界を見る眼を鍛えたい方にとって、本書は手放せない一冊となってくれるはずです。
なぜ今「地政学」が注目を集めるのか
地政学とは、地理学と政治学をあわせた用語で、地理的事情を重視して政治情勢を分析していく視点をいいます。この用語が使われだしたのは19世紀末と新しいのですが、事実上、人間は有史以来地理的条件を観察しながら生活を営んできました。地政学の視点を持つことは、構造的な要因から発生してくる傾向を知ろうとする根源的な営み。それをふまえて情報を分析することは、戦国時代の武将や軍人にとっては常識以前であり、平和や安定を求める今日の国家にとっても適切な政策につながります。著者の篠田英朗氏は、1968年生まれの国際政治学者。冷戦が終わって最初に大学院に入った世代として、「自分たちの生まれた20世紀の国際社会とは何だったのか」、とりわけ「冷戦体制とは何だったのか」、そして「冷戦終焉後の世界に何が起こるのか」ということを大きな問題意識として、日本とロンドンを中心に研究を重ねてこられた方です。
座学だけではなく、学生時代より難民救援活動に従事、クルド難民(イラン)、ソマリア難民(ジブチ)への緊急援助のための短期ボランティア派遣を振り出しに、国内外のさまざまな活動に参加して、世界のなかの日本のあり方を国際秩序の観点から構築しています。現在では東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授をつとめるほか執筆活動も精力的に行い、「ニコニコ動画」の国際政治チャンネルにも定期的に出演されるなど、軽快なフットワークの持ち主です。
地政学と二つの世界観
国際情勢が混迷を極める現在、地政学と地政学的リスクが注目を集めるのは、必然といえるでしょう。ただし地政学には二つの異なる流派が存在します。一つは「英米系地政学」、もう一つは「大陸系地政学」で、まったく異なる世界観を反映したものとされます。最初に「地政学」の概念が生まれたのは1899年、スウェーデンの政治学者R.チェーレンにより“Geopolitik(ゲオポリティーク)”と呼ばれたのは、政治学の一領域としての手法であり、ヘーゲルが提唱した「国家有機体説」をより具体的に発展させたものでした。
一方、今日の地政学の議論でよく耳にするのは、「シー・パワー」や「ランド・パワー」、「ハートランド」などではないでしょうか。これらを主なキーワードにするのが「英米系地政学(ギオポリティーク)」。代表的な論者としてはマッキンダーやスパイクマンがあげられ、海洋の自由、海洋国家(シー・パワー)による陸上国家(ランドパワー)の封じ込めを志向する点が特徴的です。
これに対し、「生存圏」「パン・イデーン(Pan-Ideen:汎理念)」などをキーワードとするのが「大陸系地政学」。代表的な論者にはハウスホーファーやシュミットがいます。もともとの流れが「国家有機体説」にあるため、大国の主権と圏域を重視します。とはいえ、それは近年のダイバーシティと矛盾するものではなく、複数の広域圏の存在を前提にした秩序を志向する特徴があります。
二つの世界観は単なる理念上の対立ではなく、ヨーロッパを一つの圏域とみなすのか、バランス・オブ・パワーの社会と見るのかという世界情勢を反映したもの。それに沿ったかたちで17世紀以降のヨーロッパにおける戦争が理解できるのだと著者はいいます。
長らく地政学をタブーにした日本の外交
日本はどうかといえば、明治期は朝鮮半島の死活的重要性に着目して日清戦争に乗り出し、日露戦争に臨む準備として同じシー・パワーのイギリスと日英同盟を結びました。いずれもマッキンダー登場以前のことで、その理論を先取りするかのようなかたちでしたが、日本に地政学の理論が構築されていたかというと、篠田氏の回答は「イエスであり、ノーである」。むしろ、こうした日本の外交政策こそが、マッキンダー理論の登場に影響を与えたということのようです。
ただし、その後の「大東亜共栄圏」をめざす帝国主義的政策は、シー・パワーとしてのふるまいではありません。大陸での拡張政策は、「いかなる国もシー・パワーであると同時にランド・パワーであることはできない」というマハンが唱えたテーゼに対する挑戦でした。
実は日本では、二つの地政学の「どちらかを取る」ことが「もう一方を否定する」ことだという認識が育っていなかったのです。そのため、戦中の日本はむしろナチス・ドイツがめざした「生存圏を有しない民族であるドイツ人は、生存するために軍事的な拡張政策を進めねばならない」という思想に影響されていきます。これらの経緯から、第二次世界大戦後の日本で、「地政学」は長くタブー視されることになったのです。
冷戦の終焉とこれからの世界
冷戦の終焉は、二つの地政学のどちらにとってもバランス崩壊を意味するものでした。英米系地政学の視点からいえば、シー・パワー連合の封じ込めが成功しすぎて、ランド・パワーの陣営が崩壊したことに、大陸系地政学の視点からは、ソ連、ロシアが自国を覇権国とする生存権、勢力圏、広域圏の管理に失敗して自壊したということになります。ロシアが国際的な批判を浴びながらもウクライナを併合しようとするのは、ロシアの生存圏、勢力圏回復のためであり、それこそが国際秩序の回復だと確信する大陸系地政学によるものです。
中国の一帯一路構想もまた、ランド・パワーというよりは生存権、勢力圏、広域圏の拡大をめざすもの。これに対抗するために日米豪印で合意された「開かれたインド太平洋」戦略は、英米系地政学に基づくものです。
時々刻々のニュースに一喜一憂することなく、国や地域の「意味」を考え、世界をより構造的に見る力をつけるため、二つの地政学の知識は役に立ちます。『戦争の地政学』は、国際秩序と平和のために役立つ書なのです。世界を見る眼を鍛えたい方にとって、本書は手放せない一冊となってくれるはずです。
<参考文献>
『戦争の地政学』(篠田英朗著、講談社現代新書)
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000374971
<参考サイト>
篠田英朗氏の研究室
http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/shinoda/
『戦争の地政学』(篠田英朗著、講談社現代新書)
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000374971
<参考サイト>
篠田英朗氏の研究室
http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/shinoda/
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