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戦後日本の政党政治に影響を及ぼしたニューディーラーたち

敗戦から日本再生へ~大戦と復興の現代史(11)占領後の日本の戦後復興(中)

島田晴雄
慶應義塾大学名誉教授/テンミニッツTV副座長
情報・テキスト
チャールズ・ケーディス GHQ民政局次長
wikimedia commons
占領後の日本の戦後復興のなかで、次に取り上げるのは占領軍と政党政治の関係、朝鮮戦争の影響、日米安保条約の締結、戦後改革と民主化の底流、人口ボーナスなどだ。これらを通して、占領政策の評価と日本に蓄積していた技術・経済・人材を比較すれば、答えは見えてくる。公立大学法人首都大学東京理事長・島田晴雄氏が主宰する島田塾の特別講演で、「戦後」の意味を考え直したい。(2016年7月8日開催島田塾第137回勉強会島田晴雄会長講演「敗戦、占領、そして発展:日本は異民族支配からいかにして再生したか?」より、全13話中第12話)
時間:11:29
収録日:2016/07/08
追加日:2017/08/07
≪全文≫

●5.占領軍と政党政治の関係 公職追放令


 それから、もう一つ、「占領軍と政党政治の関係」があります。

 1946年1月4日、幣原喜重郎が病気だった間に大変なことが起きています。突然、「公職追放令」というものが行われたのです。戦争に関わった軍人、政治家、警察、行政関係者など4,000人を全部一掃する。このリストを誰がつくったかというと、GHQの命令によって日本政府が行いました。これによって旧政党指導者は、ほとんどいなくなります。そして3カ月後、それを象徴するような出来事が起きています。

 1946年4月10日、占領下にあるとはいえ戦後初めての本格的な総選挙が行われました。鳩山一郎率いる日本自由党が圧勝したので、鳩山首相を天皇陛下に推奏することになります。そして5月4日、大命降下がなるという当日に、鳩山の手元に追放令が届いたのです。彼はそれから5年間、涙を飲んで政界から姿を消し、その間に吉田茂が存在感を誇示するわけです。


●日本の戦後を動かそうとしたニューディーラーたち


 公職追放が行われた理由は、民政局が「ニューディーラー」だったからです。コートニー・ホイットニーやチャールズ・ルイス・ケーディスをはじめとした人たちは、「旧日本の保守政治は、日本を戦争に導き、いろいろな差別を生み、構造問題をつくった原因である」と考えていました。戦後、自由党や改進党が発足しましたが、それを構成する人たちは皆、戦前から活躍した人たちばかりです。そのために、民政局は労働組合を始め、ソ連に逃げていた社会党、民主党、共産党などに期待をかけたわけです。

 それで、吉田内閣がスキャンダルで退陣した後は、片山哲の社会党内閣が成立します。彼は東大卒の弁護士であり、大正デモクラシーの民主化運動でも大活躍した人です。西尾末広のバックアップもありました。片山内閣が失脚した後は、芦田政権になります。首相は、クリスチャンで外交官の芦田均。憲法草案にも一度手を入れた経歴があり、非常にリベラルな人物ですが、社会党寄りの人でした。

 民政局は、こういう人々を自分たちの意図を実現するために一生懸命押していったわけです。お偉いマッカーサーは日本のことなど知らず、「I am Douglas MacArthur」と言えたらそれでいい人ですが、彼らは多少は勉強していました。先のヘレン・ミアーズなどから言わせると「あんたたちは、浅知恵で何をやるのよ」といった評価だと思いますが、いろいろと内政に手を下していたわけです。


●日本の保守人脈と戦後史観


 しかし結局は、吉田茂が手練手管を尽くして第2次政権をつくり、さらに第3次政権もつくって、1951年の「サンフランシスコ講和条約」を迎えます。9月8日の夕方、非常に小さな部屋で日米安全保障条約の署名が交わされました。

 そして1952年2月、ようやく5年の追放が解けた鳩山一郎が政界復帰します。10月の総選挙では第4次吉田内閣が成立しますが、周囲はそろそろ「いい加減にしろ」と思っていたのでしょう。国会での「バカヤロー」発言がきっかけで解散し、彼は大磯に隠遁してしまいます。この後、「保守合同」につながる動きとして、ようやく1954年に鳩山内閣が誕生しますが、鳩山自身はもう病気でした。

 しかし、これ以降の日本は、ずっと保守人脈を維持しています。日本はやはり保守の国なのです。革新を引っ張っているのは「平和憲法を護持」すると主張する過激な人々が多かったため、軌道修正のために左右社会党を合同する動きも起きました。この間、石橋湛山内閣が成立しますが短命に終わり、その後の岸内閣・池田内閣は、生え抜きの保守人脈です。

 「それが日本の自然律だ」と言っていたのが、評論家で元外交官の故・岡崎久彦さんです。彼は「日本を腐らせているもの」として社会党、日教組、NHK、岩波書店に反対するような人ですから、やや極端ではあります。実際には政党政治の動きには二つの考え方があると思うのですが、岡崎氏は「占領軍史観というよりも、全く意味のない東京裁判史観だ」とまで言っています。


●6.朝鮮戦争の影響


 6番目に、「朝鮮戦争の影響」が大きく数えられます。

 朝鮮戦争は、1950年6月25日、北朝鮮が38度線を越えて侵入したことで始まりました。そこで、アメリカの対日安全保障観が「同盟国としての日本」をさらに活用するという方向になり、日本への軍事経済援助を始めました。再軍備を要請してきたわけです。ドッジラインによる極端な財政緊縮で深刻な不況に陥り、つぶれそうになっていた日本経済にとって、朝鮮特需は起死回生のものでした。

 朝鮮戦争の最大の被害者となったのは、「漢江の悲劇(朝鮮戦争中のソウルで、韓国軍が避難民もろとも漢江大橋を爆破)」などを経験した韓国です。それに比して、日本は戦犯国なのに戦場とならず、漁夫の利を得ました。幸運に...
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