●フランス革命以後の時代のニーズに応えたベートーヴェン
片山 話が少し遡りますが、ベートーヴェンがそういう人間の感情の発露を意識したのは、やはり1790年代だと思います。ベートーヴェンのピアノソナタに『悲愴』と呼ばれている曲があります。原題はフランス語で“Pathetique”と、自分でつけています。
「悲愴」という訳し方は、悲しみのなかでも凄みのある悲しさということで、その点は当たっていますが、もともとはギリシャ・ラテン語の「パトス」からきているわけで、これは「激しく心が動く」ということです。そういう標題を付けたということは、単に悲しいというのではなく、激しく心を動かす方法に意味があるということです。ハイドンやモーツァルトまでの時代と、フランス革命以後のボンからウィーンに出てきたベートーヴェンが知っている新しい時代では、もはや音楽の表現法が違うということですね。
今までのような幅でやっていても、誰も心が動かなくなってしまった。もっと音楽のボリュームやメロディラインの激しさなどを変えていかないといけない。そういう方法を考えることを、ピアノソナタの『悲愴』あたりから、ベートーヴェンは自覚していたと思うんです。
だから、ベートーヴェンは確かに自身が天才的だったんだけれども、その天才性は、彼がゼロから思いついた独創的なものではありません。自分の世界の中で勝手にやって、「みんな、ついてこい!」と言ったのではなくて、フランス革命以後の時代のニーズに応えたのでした。また、音楽家がフリーランスで生きていくためにはどういう表現を考えたらいいのかということについて一番敏感だったのもベートーヴェンでした。ボンから出てきてウィーンで生き残ろうとした、ある意味では田舎者の彼にとっては、生き残り戦略として最も切実に考えたことだったのでしょう。
しかも、この頃から彼はだんだん耳が悪くなっていきます。使っているオーケストラに「このくらい鳴らせ」と指示するのですが、彼自身がよく聞こえなくなっているので、「これで聞こえているかな」と不安を覚えたりしたのではないか。これは私のやや推測になりますが、そんなことから「強く。もっと強く鳴らしましょう」という感じで、必要以上に激しくなってしまったと思うんです。
これが、かえって良かったんです。その時代の常識の一つ先を行くんだけれども、ちょっと経てばみんながついてくるような過激さがあったわけです。これによって、ベートーヴェンという人は、フランス革命や市民革命期という動乱期を生きることで大勢の市民が新しく身に付けた感性に合致することができた。市民たちはもう貴族や国王の真似をする必要はなく、彼ら自身の聞きたい音楽をベートーヴェンが探求した。そういうかたちで、ベートーヴェンの音楽は説明できると思うんです。
●戦争や革命のなかで人々が体験した「殺到」の感覚
―― それぞれの時代の求めるところということでは、先ほどの交響曲五番『運命』にまつわる伝説的かもしれない話がありました。あれは、ベートーヴェンお得意の苦しみから歓喜へ向かう曲で、冒頭が「ジャジャジャジャーン」で始まり、最終楽章になると「ドミソファミレドレド」と、「ワァーッ勝ったぞー」みたいな感じで終わっていきます。それがパリで初演されたときに、聞いていた元兵士が「これは皇帝だ。ナポレオン万歳」と叫んだという、伝説みたいな話を聞きました。
片山 『皇帝交響曲』といわれていたという。
―― そういう話もありますね。だから、やはり時代的な雰囲気に合っているわけですし、ベートーヴェンは本当に「うるさい」トランペットやティンパニーの使い方も天才的な部分がありますし。
片山 そうですね。
―― 息継ぎができないというか、休みがなくて、永遠に「ウワァーッ」とテンションが続いていく曲。もちろん静かな部分もありますけど、「うるさい」ところになると、すごい書き込みようです。もう「ウゥーッ」と凝縮して書かれた曲というのが非常に特徴的だと思うんですけど、それは今、先生がおっしゃったような時代性なのですね。
片山 そうですね。やっぱり社会のなかで、あるいは戦争や革命のなかで、特にヨーロッパの中央部の人間が実際に経験した、また、その渦中にいなくても感覚的には理解せざるを得なくなったのが「殺到」ということでしょう。
大勢の人間が殺到したバスティーユ監獄襲撃がフランス革命の象徴的事件ですが、ナポレオンの国民軍もそういうものがヨーロッパ中に攻めてくる感じとして捉えられました。とにかく何か秩序からはみ出すような余剰というか、騒音的・雑音的なものを含めたものが殺到してくるということです。
●大砲の爆撃に負けない「うるささ」を演奏会で実現
片山 そういうテンションを演奏会用の音楽で表...