●合唱だけではない、第九のすごさ
野本 ベートーヴェンのなかでも究極の曲といえば、何と言ってもやっぱり「第九(交響曲第9番)」が世界史に一番影響を与えた曲ではないでしょうか。
――第九は、ロシアのバクーニンでしたか、アナーキストでさえ「この曲だけは残す」と言ったという有名なエピソードもありますけれども。
野本 そうですね。
――日本だと、第九というと年末の風物詩的な。
野本 そうですね。日本ではもう年末の曲になってしまっていて、それもいい面がたくさんあるんですけれどもね。
――曲的に言うと、「すごさ」はどういうところにあるんですか。
野本 この交響曲は、とにかく音符の数がものすごく多い。それまでにベートーヴェンが書いた交響曲全部の音符を足したぐらい、この1曲であるんではないかというぐらいで、とにかく長大な70分ぐらいかかる大曲です。
そして、この曲も「ジャジャジャジャーン」ではないものの、やっぱり統一しようとしているんです。統一とはどういうことかというと、ある部品から有機的に曲を生み出していこうという発想なわけですけれども、第1楽章は
<ピアノ演奏>
このように始まりますが、「レ・ラ」という音で始まっています。第2楽章は
<ピアノ演奏>
やっぱり「レ・ラ」でこの曲を始めようとしている。第3楽章
<ピアノ演奏>
やっぱりこれも「レ・ラ」と始めようとしている。ここまででも、もうすでに1時間弱ぐらいかかっていて、それもすごいんですけれども。ところが、皆さんご存じの第4楽章は
<ピアノ演奏>
「レ・ラ」で始まっていないんですね。今までこんなにこだわってつくってきたベートーヴェンがどうしたんだろう、と言うと、実は第4楽章は別の曲を無理矢理くっつけちゃったから、そんなことになっているんですね。もともとは「歓びの歌」の代わりに
<ピアノ演奏>
やっぱり「レ・ラ」で始まる曲を書いていたんです。でも、それを追い出してしまって、「歓びの歌」を導入することになってしまったんです。
●第3楽章までを否定する重みと規模とメッセージ
野本 本来交響曲というのはオーケストラ「だけ」の曲のことをいうのに、独唱や合唱、いわゆる「声」を導入してしまった。本人としてはどうも納得がいっていなかったようなんですが、しかし交響曲に歌を導入したことは、結果的にはその...