●自覚がない間に蓄積されている「睡眠負債」
―― 次に先生が提唱された「睡眠負債」の考え方についてお聞きしたいと思います。睡眠負債というのは、どういう考え方でございましょうか。
西野 私が提唱したというよりも、スタンフォード睡眠研究所創設者のウィリアム・C・デメント先生ですね。シカゴ大学の生理学教室でレム睡眠を発見されたうちの一人なのですが、当時は医学生で、1963年にスタンフォードに移られました。残念なことに昨年(2020年)91歳で亡くなられましたが、レム睡眠の発見をはじめとした睡眠学に貢献されたので、アメリカでは「睡眠医学の父」と呼ばれています。
デメント先生は、慢性の睡眠不足が知らない間に積み重なって借金のように簡単には返済されない、というようなことを提唱されました。これには概念だけでなく、いろいろなデータがあります。
例えば有名な実験として、8人の被験者を用いて1990年代に行われたものがあります。彼らはいずれも毎日7.5時間寝ていて、自分の睡眠には問題がないと思われていた人ばかりでした。実験は、彼らを毎日無理やりベッドに14時間入れるというものでした。
どんなことになったかというと、最初の日は13時間眠れた。次の日も13時間寝ます。ところが、毎日続けると、それほど長くは寝られなくなり、1週間たった時点の睡眠は10時間ぐらいで、ベッドに行っても4時間は起きているようになりました。それを続けていくと、さらに睡眠時間は短くなります。この実験では3週間たったときに8.2時間ぐらい寝るようになって、そこからは増減しなくなりました。
つまり、その実験で分かったのは、8.2時間がその人たちの身体が生理的に要求する睡眠時間だということです。普段はそれより毎日40分ぐらい短かかった。何週間か何ヶ月、場合によれば何年も、身体が必要とするより短い睡眠時間で生活してきたため、それを完全に返すまでに3週間かかったという話です。
●負債にはなっても預金はできない睡眠の特質
西野 睡眠負債によってパフォーマンスが落ちるのはもちろん分かっていたのですが、いろいろな疾患リスクも高くなりますので、身も心も破滅するということです。
ここでもう一つ大事なことは、そういう人はあまりいないとは思うのですが、この実験で3週間たった後と同じように「十分な睡眠がとれている」という人についてですね。そういった状態では、身体が必要とする睡眠時間(8.2時間)より長く寝られないのです。
だから、「週末に寝だめしているから大丈夫」という人は、1日か2日の寝だめで好きなだけ寝ても、借金を返済できない。なおかつ、週末に普段より長く寝るということは、普段の睡眠が足りていないからだということです。
睡眠負債自体は医学用語ではないので、はっきりした定義はないのですが、週末に普段よりも90分~2時間長く寝る人は、睡眠負債の兆候ありといえます。
睡眠負債は、このようなデータや実験に基づいて提唱されたのですが、逆に睡眠預金はないということです。前もって寝ておいて睡眠不足に備えることはできない。だから、寝だめする人は普段の睡眠が足りていないので、注意していただきたいということになります。
●若者が「いつまでも寝られる」のは睡眠負債のためか
―― 俗説なのかもしれませんが、若者は寝かせておくといつまでも寝ていられる、しかし年を取ってくると、寝ようと思ってもだんだん寝られなくなる、という話があります。これは、睡眠負債の考え方や必要な睡眠の長さというところで、影響してくるということもあるのでしょうか。
西野 その通りです。影響してくると思いますね。だから、ある研究で高校生などの睡眠記録を1~2か月取ったのです。そうすると、中には土・日は24時間寝ている人がいるのです。その人たちは、普段やっぱりあまり寝ていません。若い人たちにはそういう傾向が強いのです。
私も学生の頃は、特に夏休みなど1~2週間ほど寝て過ごしたことがあります。これは普段の睡眠不足のためで、特に夏場はバスケットボールの合宿があったり、大会があったりしました。また、運動するだけではなく、みんなで集まって話したり、お酒を飲んだりもする。そのために、かなり慢性の睡眠不足になっていたことがありました。
お年寄りの場合も、睡眠時間が多少短くなって、朝型になってくるのですけど、やはり個人に必要な睡眠時間は取らないと、いろいろな疾患リスクが高くなるということは明らかになってきています。
ただ、若いときのように無理をして、何日も何週間も睡眠不足の状態を続けてもなおかつ普段の活動をするようなことは、なかなかつらく、難しくなってくる。それで、結構ウトウトしたり、眠いときには寝たりするような状況になってくる可能性は十分あります。