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承久の乱…3上皇の配流と皇室への介入というありえぬ事態

源氏将軍断絶と承久の乱(11)承久の乱

坂井孝一
創価大学文学部教授/博士(文学)
概要・テキスト
承久の乱は日本史上唯一、官軍が敗北を喫した内戦である。京方を率いたのは治天の君である後鳥羽上皇その人だったが、その目的は鎌倉幕府の壊滅ではなく、トップである北条義時の交代だったと考えられる。しかし、鎌倉方の武力にはかなわず、朝廷から幕府へ権力が動き、東西の境もまた揺らいでいく。(全12話中第11話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:12:23
収録日:2022/07/13
追加日:2022/11/20
タグ:
≪全文≫

●鎌倉殿に従う武士、朝廷に従う武士、両属の武士


―― (後鳥羽上皇と北条義時の)対立の種がいよいよ火を噴くのが承久の乱ということになってきます。承久の乱の動きを考えるためには、鎌倉殿に従う武士たちと、朝廷に従う武士の存在を考えなければいけないと思うのですが、このあたりはどういう仕組みになっていたのでしょうか。

坂井 武士たちは、関東を中心に御家人(鎌倉時代には、「鎌倉殿(=将軍)直属の家臣」の意)になっていますが、西国のほうにも武士はいて、御家人でない武士もかなりいました。さらに東国出身の御家人であっても、京都に行って院に仕える、両属関係にあるような武士も相当いました。

 それから西国守護。守護というのは有力御家人になりますが、西国守護の任地は西国なので後鳥羽の指揮系統に入る武士たちも、相当数いました。逆に言えば、そのぐらい西のほうでは、治天の君である後鳥羽上皇 が存在感を示していたということです。

 したがって、幕府の武力や軍事力といっても、やはり東日本が中心です。そこがまず大前提として重要になってきます。

 そこで、簡単に経緯を説明しますと、まず(北条)義時を排除しなければいけない。そして自分の意向を実現するような西国の御家人を、奉行として鎌倉に送り込む。これによって幕府の軍事力を乗っ取ろうとしたのが後鳥羽上皇の真意だと、私は考えています。

 軍事組織を1(いち)から作るというのは大変です。さらに、(源)頼朝の挙兵からはすでに40年以上経っているので、そのなかで積み上げられてきた組織である幕府をつぶし、倒すことによって、多くの東国御家人たちは野に放たれてしまうことになります。彼らは武力を持っているわけで、治安が乱れることは、火を見るよりも明らかです。


●後鳥羽上皇に幕府を倒すつもりはなかった?


坂井 それをするほど後鳥羽上皇は愚かではないと思います。むしろ、親王将軍を送って幕府を自分の支配下に置こうとしたのと同じように、「トップにいる北条義時を別人にすげ替えることによって、軍事組織はそのまま利用しよう。そのほうが、デメリットが少なく、メリットが大きい」と考えたのではないかと、私は思っています。

―― これは、まさに親王を将軍として下そうという発想の延長線上といえば延長線上です。いかに自分の影響下に幕府を置くかという戦略の一環ということになる...
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