●無限の憧れに向かって生きるのが日本人
―― 先生の話を聞いていて、〈恋の亡びた日本なぞ どっかへ行了(いっちま)へ〉も……。
執行 折口信夫ですね。
―― これも先生の生きざまですね。
執行 忍ぶ恋です。折口信夫は、(皆さん)知っていると思いますが日本の民俗学の権威で、一番の学者です。『現代襤褸(らんる)集』という詩集があり、その中にある「日本の恋」という詩に出てくる言葉です。
折口信夫が生前に言っていたことで私が一番感動したのは、日本民族とは「全員がスサノオの子孫だという気持ちを持っていること」というものです。
―― みんなスサノオだと。
執行 日本とはスサノオで、スサノオの子孫だと思っている限り、日本人なのだと折口信夫が言っています。ではスサノオの本質とは何か。スサノオの本質とは、(前回お話しした)言った狂気です。狂気に生き、正しいと思うことに命を懸け、恋に生きること。恋とは憧れです。無限の憧れ。無限の憧れに向かって生きるのが日本人で、スサノオノミコトの命なのです。
これを失ったら、もう日本は終わりだと。だから日本人は、折口信夫も言っていますが、西洋人に比べると「幼稚」なのです。これは民族性だと言っています。
―― 幼稚なのですね。
執行 もう昔からです。でも幼稚でいいと。やんちゃなのです。(日本人は)スサノオの子孫なのです。その代わり、変に大人びないで純愛です。まだ成長していない子どもの純愛。そういう純愛の世界に生きなければダメだと言っているのです。だから、私が提唱する「忍ぶ恋」につながるのです。
―― まさに忍ぶ恋そのものですからね。
執行 そう。〈恋の亡びた日本なぞ どっかへ行了へ〉。もう日本ではないということです。だから、今みたいにコンプライアンスだの、くだらない英知や生き方の知恵みたいなことを言い出したら、日本人は世界の孤児になるとも言っています。
大体コンプライアンスや法律というのは西洋のものです。日本人に、こんなものは合いません。日本人は義理人情、親のためなら死ぬ、親の苦労のためなら自分が身代わりになる、そういう生き方です。それをここで「恋」と言っているのです。
だから、深めていけば恩義であり、義理であり、義理人情です。法律なんか関係ない。天皇を中心として、目上の者を崇拝して家制度の中に生きるということです。
―― さすがですね、民族学者の折口信夫は。
執行 折口信夫といえば、民俗学で日本一ですから。
―― それはやはりすごいですね。
執行 すごいなんてものじゃない。折口信夫も私は大好きで、全集をもう何度読んだかわかりません。その中で一番気に入った言葉です。
―― なるほど。
●「ユーモアとウィット」には教養が欠かせない
―― (続いて)バーナード・ショウの〈無関心こそが、非人間性の本質である〉もすごいですね。
執行 これもすごい。
執行 バーナード・ショーは、戦前の英国で最も有名な評論家です。立場的に言うと、先ほど話した小林秀雄のような感じです。
―― そうか、小林秀雄と似ている感じですね。
執行 英国社会で最も知性があると言われていた評論家です。著作は大体全部読んでいますが、本当に素晴らしい。ウィットが効いていて、ユーモアとウィットの天才と呼ばれた人です。全てのことにウィットがある。日本の政治家みたいに下品で直接表現をするのでなく、文学的に婉曲に言うのです。
―― やはり(日本の政治家は)ユーモアがないですね。
執行 ユーモアとウィットがあるから、誰かを攻撃しても全然汚くない。
―― その通りですね。
執行 そして攻撃されている人にしかわからない。思い当たる人はバーナード・ショーに言われると、ギクッとするわけです(笑)。
―― なるほど。言われて思い当たる人しかわからないのですね。
執行 日本の国会中継なんて、見られません。なぜ見られないかというと、教養がないからです。
―― なるほど。
執行 教養がないと全部、直接表現になるのです。直接表現を緩めるのが教養だと、よく言われますよね。和歌も、どのくらい直接表現から横にずれられるかが(大事で、それが)平安時代からその人の教養なのです。日本では、(そういう意味では)政治家はゼロですから。
―― そうですね。確かに正義とユーモアがないとダメですね。
執行 その文学的な力がユーモアだから、昔の人は政治家になる人もみんな文学を読んでいたのでしょう。
―― 教養があったのですね。
執行 戦前までの人はあります。全然、今の人と違います。喋り方が面白い。私はよくSPレコードで東郷平八郎や頭山満など、昔の人の演説や喋っているのを聞くのですが、もう感動します。 ものすごくざっくばらんというか、何というのか、もう笑ってし...