●芥川龍之介の苦悩の頂点で書かれた言葉
―― 次に芥川龍之介の〈人生は一行のボオドレエルにも若(し)かない〉ですが、先生が一番ご苦労されたときに、芥川龍之介のこの苦悩が私を救ってくれたと。
執行 そういうことです。私がこの言葉に出会ったのは小学生のときですが、この言葉に出会ってから大変なことがあるときは、いつもこの言葉を思い出していました。書いてあるものが家にあるので、必ず開き、この〈人生は一行のボオドレエルにも若(し)かない〉という言葉を見ていました。
ボードレールは人間が日常性を捨てて宇宙とつながるというか、一つの芸術的な飛躍をしない限り、人生がダメになると『悪の華』など、いろいろなものでうたっている人です。要するに日常から非日常に飛躍しないと、人生には意味がない。そのためには命を懸けなければならないとうたっているのです。だから、ものすごく深い。
―― 深いですね。
執行 芥川龍之介は36歳で自殺するのだけれども、これはそのちょっと前に書いた文章です。
―― (芥川龍之介は)〈ぼんやりとした不安〉という言葉を書きましたね。
執行 そのちょっと前です。〈ぼんやりとした不安〉は遺書に載っていた言葉なので。それと同じ時期のもう少し前に、この文章を書いています。だから、芥川龍之介の苦悩の頂点で書かれた言葉です。
●欧州文明と日本文明の相克と融合に悩み抜いた大正時代のインテリ
執行 芥川龍之介はあの頃の、大正時代の日本の超インテリ、その頂点です。頂点の人の苦悩とは、要するに日本的な伝統とヨーロッパの文明との対決です。ヨーロッパ文明と日本文明が対決して、どちらが生きるか死ぬか。その融合の中に命を懸けて生きていたのが大正時代の日本の、いわゆるインテリです。 これは政治も経済も文学も哲学もそうです。だから自殺者も多い。みんな苦悩が頂点に来ているのです。明治以来の欧化政策というか……。
―― それをまともにくらったのですね。
執行 そう。一番くらったのが大正です。大正時代に〈人生は一行のボオドレエルにも若(し)かない〉という言葉を芥川龍之介は残して死んでいきましたが、本当はあと50年から100年ほど苦悩すれば(違いました)。
これは橋田邦彦という東大教授だった生理学者で、(戦時中の)最後の文部大臣で戦犯になった人も言っています。あと50年、ヨーロッパ文明と日本文明の対決で苦悩すると、本当の日本の文明が生まれただろうと。要するに科学も併合して、橋田邦彦の言葉でいう「日本的科学」、ヨーロッパの科学ではない日本の科学が生まれたと。
―― なるほど。
執行 でも、そのためにはあと50年間、インテリたちの、家庭も顧みない、自分の命も捨てる本当の闘い(が必要だった)。
―― あと50年。
執行 ところが日本人は、10年でやめてしまうのです。芥川龍之介が自殺して10年ぐらいあとに、例の日本の軍国主義が始まります。軍国主義とは、つまりは簡単な解決法にいったということです。
―― なるほど。戦争で片づけるのは簡単な解決法だと。
執行 要するに「相手をぶちのめせばいいのだろう」と。ヨーロッパに対するコンプレックスに打ち勝てないから、もう「何するものぞ」「うるせえ、バカやろう」みたいな感じです。
苦悩を投げ捨てた、悪い意味の狂信的天皇主義、戦前の陸海軍の狂信に入っていったのです。軍国主義的に見ても狂信ですから、苦悩はいらないのです。お祭り騒ぎですから。やはり苦悩とはコンプレックスを持っていて、そのコンプレックスを克服し、アウフヘーベンを1つ上がる。「正(せい)」と「反(はん)」つまり「正しい」と「反する」があり、これが喧嘩し合って、苦悩して苦悩してアウフヘーベン、つまり止揚することができるのです。
―― 苦悩と葛藤がなかったらアウフヘーベンできないのですね。
執行 そういうことです。歴史的に言うと、あのとき日本のインテリは最大の苦悩に襲われたのです。当時の西洋文明は歴史上に類を見ない圧倒的な力でした。それが突如来たわけで、それを1人で消化しなければならない。
もちろん当時の庶民には関係ありません。庶民はその日暮らしで、自分さえよければいい。インテリが命懸けの苦悩をしたのです。その象徴的な言葉が芥川龍之介の〈一行のボオドレエル〉なのです。
ボードレールはご存じだと思いますが、ボードレール自身がそのようなある種の古代と近代(ルネッサンス)の対立で苦悩しました。ある種フランス社会を呪い、人間の飛躍のために苦悩し続けたのがボードレールです。だから、ボードレールの詩に一番感応して、芥川龍之介はこう書いたのです。
―― その意味では大正のインテリは、本当に大変だったのですね。
執行 ものすごいです。大正のインテリということは、要するに明治の青...