● 葛藤が西洋文明を創り上げる一つの原動力になった
―― (本には)ダンテの『神曲』の言葉も出てきます。
〈地獄には、地獄の名誉がある〉
この言葉ですが、(西洋は)そうした葛藤をずっと続けてきた。中世から近世、近代に行くまでのあいだに。こういうものがないのですね、日本の中には。
執行 そうです。これは歴史の違いなので仕方ありませんが、日本人は日本人で今度は、西洋の民主主義などを融合するための地獄の苦しみを50年以上、100年ぐらい続けなければダメなのです。
これまで2度やろうとしてダメでした。西洋人は歴史的にキリスト教と大衆文明の融合ができた。多くの人が死に、みんな大変でしたが、それを成し遂げたのが西洋の偉大なところです(それは邪魔がなかったというか……)。
もう一つ言うと、西洋はやはり神に選ばれている面もあるのかもしれないけれども、西洋がアメリカ大陸を発見したことで、アメリカに余計な人間を全部、移民させることができた。あれで西洋は成功したのです。
―― 新大陸に行ってくれたから、やりやすかったわけですね。
執行 何か一つ、守れたのだと思います。それがあのヨーロッパの科学文明を生み出したのです。日本で言えば、大衆の圧力よりも、インテリのほうが強かったということ。だから、貧乏な大衆がみんなアメリカ大陸に行ったのです。
―― それで救われるわけですね。
執行 偶然ですが、ヨーロッパは歴史的にそういうものを抱えているのです。ダンテのこの言葉もすごいでしょう。
―― すごいですね。
執行 私も大好きな言葉です。
〈地獄には、地獄の名誉がある〉
これは人間の真実です。本当の名誉心とは何かを書いています。今の日本人や普通の人たちが名誉と考えている「綺麗なもの」「ありがたいもの」といったものとは違うのです。神と自分との対立でしょうか。
この頃の人間は、神の前で神に負けています。人間が持っている理想や憧れ、美といったものは全部、悪いものと思っているのです。
―― 悪いものですか。
執行 神と対立しているから。
―― なるほど。
執行 人間なんて大したものではないことが分かっているのです、西洋人は。ルネッサンスが始まったところで。自分たちは「地獄の中で喘いでいるうじ虫だ」と、ダンテほどの人も思っている。それが結果として偉大な西洋文明を生んだと思います。
神と対立しているのだから、当然われわれはうじ虫です。でもうじ虫にも、それこそ「一寸の虫にも五分の魂」です。
「一寸の虫にも五分の魂」というのは、意地です。意地が西洋文明を創ったのです。西洋文明を創り上げる一つの原動力になった。この〈地獄には、地獄の名誉がある〉が書かれている『神曲』は、西洋文明を作った根本図書です。
だから本当の文明は、綺麗事でもよいことでも絶対できないということです。本当の文明は、人間が持つ悪徳の中から生まれるのです。
―― 悪徳の中から生まれるのですね。
執行 お釈迦様も言っています。蓮の花は綺麗だけど、その下には地獄がある。地獄があるから、蓮の花が咲くのです。この蓮の花は、一つの文明です。文明を生み出すには地獄の池の底が要るわけで、それと同じ意味です。
―― なるほど。
執行 そういえば、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』という、地獄のカンダタの有名な話がありますね。大体、教科書に載っていた。だから、芥川龍之介も、当時のインテリはみんな全部分かっていたのです。
―― それくらい、よく分かっているのですね。
執行 分からないのは、いつの時代でも大衆です。だから大衆文明に押しのけられたか、大衆を排斥して上級の人間が主導をとれたか。それによって歴史は決まります。ヨーロッパは今言ったように新大陸があって、貧乏で不満な人たちが一旗揚げようと300年にわたってどんどんアメリカに渡った。
―― それは、すごいことですね。
執行 だから、ヨーロッパは大衆の圧力に負けずにヨーロッパらしい文明を築けたのです。
―― なるほど。
●日本のリベラリズムが軍国主義に負ける過程は「苦悩を捨てる過程」
―― そういう意味で、アメリカの発見は大きかったし、どんどん移民できる新大陸があったのはすごいことですね、
執行 あれは、すごいことです。日本だって、不満な人が全員行けるところがあれば、全然違う国になります。
これは、歴史を見てもらうとわかりますが、軍国主義の台頭は、日本のリベラリズムがどんどん負けていく過程です。リベラリズムが軍国主義に負けていく過程が、私の言う「苦悩を捨てていく過程」なのです。リベラリズムは、今のポピュリズムとは違いますから。
―― 違いますよね。
執行 当時のリベラリズムは命がけです。国家体制に対しても。リベラリズムの学...