●かつては「もう年だから思い残すことはない」が当たり前だった
―― 『平家物語』の〈見るべき程の事は見つ、今は自害せん〉。
執行 平知盛の言葉です。
―― これも見事な言葉です。
執行 これは『平家物語』の有名な言葉で、私も小学生のときから本当に好きです。〈見るべき程の事は見つ〉。ここで私が言いたいのは、人間は本当に生きたら死ぬのは何歳でも怖くないということです。だから、もし死ぬのが嫌だったら、その人は生きていない。今の日本人は、ほとんどそのようなものです。
平安時代からですが、自分なりにすごく一生懸命生きたら、こういう言葉を残して死ねるのです。
―― 精一杯生きたら、ですね。
執行 今の日本人は、これについて反省すべきです。私が子どもの頃まで、つまり高度成長(期)前の日本ですが、10歳前ごろの記憶では、近所の60歳から70歳のじいさんばあさんで「いつまでも生きたい」なんて言っていた人は見たことがないのです。私の時代では、です。私が1950年生まれだから、1960年ごろまでです。まず一人もいないのではないか。みんな「いつ死んでもいい」と言っていました。「もう思い残すことはない」というか、「もう年なんだからしょうがねえよ」と。みんなそう言っていたし、それが庶民的には当たり前なのです。
―― 潔い社会だったのですね。
執行 昔の人はなぜそう言えたかというと、貧乏だったからです。貧乏とはイコールその日その日を生きるのが大変だということです。その日その日を生きるのに必死で(生きて)きた人は、大体60歳過ぎると「もう年だから、いつお迎えが来てもいいよ。思い残すことはない」という感じです。近所の職人もそうでした。全部、言葉を覚えています。
それと、「早く死にてえ」と言う人も多かった。信じられないでしょう。どうですか、今(と比べて)みて。
―― 今はもう、生きたい人だらけですね。
執行 そうでしょう。私は目白で育ったので、知り合いには中流階級が多かった。けっこうな教養人が、会社の定年が55歳の時代だから55歳から60過ぎると、「早く死にたい」と言っていました。
みんなが言っていたことで今でも覚えているのは、「とにかく自分の葬式に来てくれる人がまだ何人もいるあいだに死にたい」と。友だちとか。だから「最後に残りたくない」と言っていました。
とにかく近所の人とか知り合いと...