●永遠の苦悩に向かって生きようとする人間は失敗と間違いの連続
―― (フョードル・)ドストエフスキーの〈どんなでたらめをやっても、心さえ歪んでいなければ、最後には必ず正しい道に到達すると思っている〉。
執行 これも素晴らしいです。『罪と罰』に出てきます。
―― これを持ってくるところが唸ります。
執行 この言葉に感激する感性がないと、苦悩はできません。
これは小学生のときに読みましたが、そのときは気づかなかった。『罪と罰』のなかに出てくる言葉で、ラズミーヒンというラスコーリニコフの友だちが、ラスコーリニコフに喋っている言葉です。
私は武士道で挑戦していますが、こういう魂の挑戦、永遠の苦悩に向かって、愛とかに生きようとする人間は、失敗と間違いの連続です。これだけは間違いない。誰でもそうです。
〈どんなでたらめをやっても、心さえ歪んでいなければ、最後には必ず正しい道に到達すると思っている〉という考え方がないと、挑戦は何もできません。今度は逆に、失敗が怖くて何もできない。今の日本の中流階級は、全員そうです。日本のよい子の中流が出来上がってしまうのです。今の日本では間違いをしてはダメだから、ちゃんとした家庭の子は、みんな怖くて何もできない。
―― だからイノベーションが起きないと。
執行 全然起きない。もう、そういうふうに教育されている。だから今、いい方は悪いけれど、わりとやる気のある人は、ろくでもない育ちの人が多い。でも、こういう人は自我でしか生きていないので、やる気があってもまたダメなのです。
だから、本当は中流階級でちゃんとした教育を受けた人間がやる気を持たなければダメなのです。でも、それは今ない。どうしてかというと、コンプライアンスと一緒で、間違えてはいけない社会を大人が作っているからです。パワハラ、セクハラまで含めて、ちょっとした会話で冗談一つ言ったら地位を失う社会ですから。こんな社会を作っておいて……。この言葉は逆のことをいっています。
―― 本当にそうですね。
執行 殴り合いの喧嘩をしようが、どこで何をしようが、志さえ間違っていなければ最終的にはいいんだという社会がないとダメです。
―― そうですね。この〈最後には必ず正しい道に到達すると思っている〉。昭和と令和の差は、そこなのでしょうね。
執行 まず、そうです。まだ私が子どもの頃は、ちょっと残っていました。こんなに一言一言、言葉の端まで捉えられる時代なんてありません。今はひどい。もう日本人は何もできないと思います、まともな人、ちゃんとした人は。
―― そういうふうに躾けられているから。
執行 だから私の72年間の人生で、わりと自由に生きている人は、(言い方は)悪いけど、日本社会ではマイナー、例えば学歴がない人。そういう社会の人は、今でもすごく元気です。だから魅力があるのは、そういう人になります。芸能人とか。
―― 要するに枠にとらわれない。枠という教育を受けなかった人たちですね。
執行 そういうことです。私は偶然、武士道が好きだから、(枠にとらわれることは)なかった。運もよく、学校も立教小学校に入ったからエスカレーターで大学まで行った。
―― 受験をやらなくて済んだと。
執行 受験もなく立教で大学まで行ったので、学校制度、現世、受験制度、これに全く興味ない。好きな本ばかり読んでいた。だから、よかったわけです。
―― 受験勉強がなかったことのよさがあるのですね。
執行 助かりました。私の知り合いでも高校生まではものすごい読書家だったのに、大学受験で読書をやめたとか、そういうことを何人も聞いています。大学受験や高校受験のときに、親から読書を禁止されたとか。そこからもう読まなくなったと。
―― (今は)つまらない人を作るような制度をはめられているわけですね。
執行 今のコンプライアンスなんて、とんでもないでしょう。
●日本は歴史の教訓を生かして魂の苦悩に耐えてほしい
―― 日本の社会には、もともと要らなかったのですね。(日本は)やはり緩いし、そこがまた魅力的だし。
執行 そこがいいところです。家制度がしっかりしていたから、すごい人はいない。いなくていい。私は、日本人は別にすごい人間にならないでいい民族だと思っています。
―― それで、けっこう幸せに生きられる。江戸時代の幸せですね。あの時代はすごく幸せで、産業技術だけが少し足らなかったぐらいで、全体的なレベルは高かったと。
執行 あと化学肥料がなくて食料が足らないから、人口が増えることはない。これは仕方ない。
―― そうですね。でも幸せ度という意味では、相当なレベルを培ってきたわけですね。
執行 すごいです。
―― すごいレベルですね。(当時の)江戸庶民に対抗できるのは(どこ...