●「就職氷河期」にぶつかったモーツァルトの短い生涯
―― 先生は、モーツァルトについて非常に印象深い言葉を紹介していらっしゃいます。「モーツァルトは不安の時代の音楽家である」、と。端的にいうと、時代が移り変わっていく中で、かわいそうなことに就職氷河期に当たってしまったのがモーツァルトであると、『ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる』の中でお書きになっています。
片山 そうですね。前回までの流れでいえば、教会や封建領主の強い時代が、絶対王政によって揺らぎ始める。国によって違いがあるので、中央に権力が集中して、教会の権力や封建領主の権力が弱っていくようなところもあれば、神聖ローマ帝国のように、なかなかそうでもなく、いつまでも割れているようなところもあるわけです。
そういう中で、イギリス発の産業革命は特に大きいわけですが、その手前でいわゆる商業革命的なことが起こります。いろんな品物が、大きな圏域で幅広く流通していくようになるのです。そういう時代になりますと、もちろん生産力も上がっていく。そして決定的には産業革命によって生産力が飛躍的に向上し、同じ時間と同じ労働力で10倍とか桁違いなかたちで、いろんな品物ができるようになっていきます。
こうなると、動く富も変わってくる。また、力を持ち始めるのは生産手段である工場などを持っているような人、それから、そういう品物を取り引きしている人になって、いわゆる商工業者がお金を持つようになります。その分、どこが没落するか。国によって違いがあり、封建領主でも相変わらずお金が集まるようなシステムでがんばっていたところもありますが、全体的には富が一般の市民の方にたくさん蓄積されることにより、教会や国王、封建領主たちが相対的に弱ってきます。
弱ってくるということは、王さまや貴族や教会ばっかりがたくさんお金を使って音楽家を雇う時代が終わり、その代わり市民相手に稼ぐのが当たり前になってくるのが、まさに18世紀の後半に起きることなのです。
●旧体制の存続を信じて天才児の就職活動をした父レオポルド
―― 例えば、モーツァルトの場合、生まれたのが1756年で、亡くなったのが1791年ということですね。このあたりの微妙な差によって、この時代では非常に色が分かれてくるわけですね。
片山 そうですね。1789年がフランス革命の始まる年ですので、モーツァルトは、フランス革命が始まってから2年後に亡くなっています。つまり、あのような大革命が起きる前後の時代に生きていたわけです。モーツァルトの父親はレオポルト・モーツァルトといって、ザルツブルクの大司教に雇われた音楽家でした。彼はヨーロッパのアンシャンレジームが続くことを疑わず、自分の子も当然どこかの王様や大貴族、教会などでたくさんお金をもらえるようになるだろうと思って、一生懸命、息子の就職活動などをしたわけです。
―― 子どもの頃から非常に音楽的才能豊かで、神童といわれていた人でしたね。
片山 そうなのですね。「うちの息子は天才なんだから、当然たくさんのお金を出してくれる雇い口があるはずだ」。「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトに頼れば、モーツァルト一族が安泰に暮らせるような成功は、当然得られるだろう」。こうしたことがレオポルト・モーツァルトにとっては当然の考え方だったわけです。
ところが、父親が信じていたような世界は、神童モーツァルトがだんだん青年になっていく中、どんどん壊れていく時代でした。モーツァルトがすごいことは皆が認めるのですが、すごいからといって、たくさんのお金を払って専属に雇いたがるような人が、だんだんいなくなっていました。
●貴族専属からロンドン市民を相手にしたハイドン
片山 モーツァルトの先輩にハイドンという人がいました。彼が雇われたのは、ハプスブルク帝国の大貴族エステルハージ家でした。もともとはハンガリーの方でオスマン帝国と戦う際に最前線に立つような、「戦闘貴族」と呼ばれた陸軍軍帥的な家系です。ここに雇われ、専属のオーケストラを持って、エステルハージのファミリーのために懸命に作曲するのが、ハイドンの前半何十年かの音楽家人生でしたが、さしもの大貴族の家がやがて傾いてきます。
エステルハージ家ほどの、ハプスブルク帝国を代表する大貴族でさえ、その有様ですから、ハイドンより後のモーツァルトは悲惨なものです。
ハイドンはエステルハージ家の楽長として雇われ、専属のオーケストラを持ち、エステルハージ侯爵の趣味に合わせて曲をつくっていました。「今晩、こういうのをやるから、あんた、つくりなさい」と言われて交響曲をつくったりセレナーデをつくったり、「うちのオペラハウスでやるためのオペラを、あなた、早くつくりなさい」と言われたり、「これで一生、...